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35歳・鈴木大輔が振り返るサッカー人生のターニングポイント スペインでの3年間とジェフ千葉への移籍 (4ページ目)

  • 高村美砂●取材・文 text by Takamura Misa

 だが、結果的にタラゴナでの契約満了後、約3カ月間の時間をかけて移籍先を模索したものの、ラ・リーガを含めてキャリアアップを図れるようなヨーロッパの主要リーグからのオファーはなく、鈴木は2018年9月、残留争いの真っ只中にあった柏への復帰を決断する。

「28歳になったセンターバックの自分に、海外でのどんな可能性があるのかを見たかったのもあって、ヨーロッパの移籍ウインドウが閉まるギリギリまでラ・リーガを中心に移籍先を模索したんです。でも、どこからもオファーはなく、そこで初めて日本への復帰を考えました。

 いくつか手を挙げてくれたJ1クラブのなかから柏を選んだのは、真っ先に正式なオファーをくれたから。また自分の現在地が明らかになったなかで、もう一度成長を求めるために必要な環境はどこかを考えて、柏を選びました」

 当時の柏はリーグワースト4位の失点数を数えて、18チーム中15位に低迷していた時代。そのチームに身を置き「少しでも勝つ確率を上げるために自分には何ができるのか」を模索することを新たなチャレンジだと捉えた。

 だが加入後、すべてのJ1リーグに出場しながら目標は達成できず、最終節を前に柏のJ2降格が決定してしまう。それを受けて、鈴木は2019年から浦和レッズに新たな活躍の場を求めると、2021年にはいよいよ、キャリアで3つ目のターニングポイントだと振り返る、ジェフユナイテッド千葉への移籍を決める。

 当時、30歳。キャリアの後半に差しかかっていることを自覚するなかで、「これまでの経験をフルに生かせるクラブはどこか」に焦点を絞って決断したという。

「浦和に行くと決めたのは2013年の柏移籍と同様に、阿部勇樹さんをはじめ、槙野智章さん、マウリシオ、岩波拓也(現ヴィッセル神戸)、森脇良太さんら潤沢なセンターバック陣との競争を自分に求めたから。実際、クラブからはAFCチャンピオンズリーグ(ACL)の戦いを控えていたこともあり、『ACLを想定してセンターバックを2セット作りたいから、その競争に加わってほしい』と言われていました。ただ、結果的にヘルニアになったり、ケガが多かったことを含め、コンスタントに試合に出る自分を見出せなかったのは、僕の力不足だったと思っています。

 その自分を冷静に受け止めたうえで、また、自身も30代に突入した頃からキャリアを広角で考えるようになっていたなかで、それまで培ってきた経験を若い選手に伝えたり、自分がリーダーシップを取ってチームを引き上げるチャレンジをできるチームはどこかを考えた時に、千葉がすごくリンクしました。新潟時代に、スカウトと選手という立場でお世話になったGMの鈴木健仁さんの『なんとしてでも千葉をJ1に復帰させたい』という熱意や、そのためのチームづくりの考え方に触れて、自分もその一員としてジェフに新たな歴史を作りたいという思いが強くなった」

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