35歳・鈴木大輔が振り返るサッカー人生のターニングポイント スペインでの3年間とジェフ千葉への移籍 (2ページ目)
そしてその時間は、念願の"海外"を切り拓くことになる。思わぬアクシデントにも直面し、2016年1月に柏から退団のリリースが出された際には所属チームも決まっていない状況だったが、最終的には2016年2月にスペイン2部のヒムナスティック・タラゴナへの完全移籍が発表された。
「2015年の夏にラ・リーガのラージョ・バジェカーノからオファーをもらったのですが、違約金を設定していなかったため、いったん話が流れたんです。ただ同年冬、日本のシーズンが終わったあとにもう一度、正式にオファーをいただいたので(バジェカーノへ)行くと決めました。なのに、クラブオーナーのハンコがもらえないという事態が起きて破談になってしまい......ということもあって、J1クラブからもいくつかオファーをいただいたし、大半の人から『今は日本に残って半年後に(海外を)探るべきだ』と止められました。
でも僕自身の"海外"への思いは揺るがず、代理人にも『練習参加でもいいし、2部でもいいから、興味を持ってくれるチームを探してほしい』と伝えていたら、タラゴナから1週間の練習参加のオファーをもらった、と。あくまで練習参加なので決まらない可能性もあったんですけど、すぐに海を渡りました」
これは、バジェカーノとの移籍交渉が破談になる前後の時間を通して、人生を見つめ直したなかでの決断でもあったという。自身の年齢やサッカー選手としての目標、人生の目的。そして、「自分はなぜサッカーをしているのか」。思いを巡らせるなかで浮かんできた答えが、鈴木を突き動かした。
「所属チームがない状態の時に、引退でもするのかってくらい、人生を考えたんです。その時に思ったのが、まず僕の人生はほとんどサッカーで構成されてきて、サッカーのおかげで成長できてきたということでした。
でも一方で、『じゃあ、サッカーをやめたらどうなんだ?』ってことを考えた時に、"人として"成長し続けることができないと、きっと自分の人生はうまくいかないという考えに行き着いたんです。それを潜在的にわかっていたから、これまでも常に厳しい選択をしてきたのかもな、と。
じゃあ"人として成長し続ける"ために、今自分がするべき選択は何かを考えたら、やっぱり海外だ、と。お金でもキャリアでもなく、人として成長するために日本を飛び出すんだ、と整理できた。
ですから、代理人に移籍先を探してもらうにあたっても、『お湯を出そうとしてもずっと水しか出てこないような国でも全然平気です』みたいな話もしていました (笑)。もちろん、自分の根本にあるサッカー選手としての軸、目標は最初にも話したUEFAチャンピオンズリーグに出場することに他ならなかったけど」
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