【Jリーグ】ストイコビッチを支えた名CBトーレス 名古屋ベンゲルの「ゾーンディフェンス」をもっとも理解していた (3ページ目)
【ピクシーのゴールをお膳立て】
187cmのサイズを生かして、エアバトルでも圧倒的な存在感を示した。空中戦の強さはゴールを守るだけでなく、ゴールを奪うことでも生かされた。加入1年目の1995年シーズンは、36試合に出場して6ゴールをマークした。
ベンゲルによってモダンなスタイルが持ち込まれたグランパスは、年間順位3位でフィニッシュする。天皇杯では準決勝で鹿島アントラーズ、決勝でサンフレッチェ広島を撃破し、グランパスとして初めてのタイトルを獲得した。
天皇杯決勝に先駆けて行なわれたJリーグアウォーズでは、ストイコビッチがMVPに選出され、ベストイレブンにも名を連ねた。
トーレスは?
選ばれていないのである。CBは横浜マリノスの年間王者に貢献した井原正巳、浦和レッズの年間4位を後押ししたギド・ブッフバルトが選ばれたのだった。
1996年のグランパスは、前年から順位をひとつ上げて2位になった。トーレスは全30試合のうち29試合に出場している。チームの好成績を力強く後押ししたが、この年もベストイレブンは井原とブッフバルトに譲ることとなった。
ベンゲルは1996年シーズン途中にグランパスを去り、その後は監督交代が続く。外国籍選手の顔触れも変わっていくが、トーレスはストイコビッチとともにチームを支えていった。
グランパスでのラストマッチは、2000年元日の天皇杯決勝だった。サンフレッチェ広島を2-0で下した一戦で、トーレスは先制点のきっかけをつくり、アシストもしている。
右サイドからのロングスローをヘディングで跳ね返し、一度は相手にわたったボールを味方選手がカットすると、そのまま攻め上がっていく。数的優位のなかでパスを受け、ストイコビッチへつなぐ。華麗なフェイントの連続からピクシーが決めた伝説のゴールは、トーレスのお膳立てから生まれたものだった。
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