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【Jリーグ】韓国のスター洪明甫が日本で悩み、苦しみ、歓喜した5年間「日本人と理解を深めることができた、かけがえのない時間」 (4ページ目)

  • 戸塚 啓●取材・文 text by Totsuka Kei

【2026年W杯は韓国代表監督として】

 シーズンを通して獲得した勝ち点は、年間王者の鹿島よりも、鹿島とチャンピオンシップを争った横浜F・マリノス(ファーストステージ優勝)よりも多かった。

 チームは大きな期待を背負って2001年を迎えるが、洪はケガに悩まされた。疲労骨折でセカンドステージはほぼ出場できず、チームは年間順位で8位に終わった。

 洪はJリーグでのキャリアに区切りをつける。

「自分は外国人選手としてプレーしているわけですから、チームを勝たせないといけない。レイソルを優勝させるという気持ちで戦ってきて、その目標は達成できなかったけれど、自分にできることはすべてやったという気持ちでした」

 すでに30歳を過ぎていた。フットボーラーとしてのキャリアは、終盤に差しかかっている。翌2002年には、自身4度目となるワールドカップが控えている。母国でケガをしっかりと治し、キャリアの集大成に備えるのは理に適った選択だった。

「国際試合で日本と対戦する時は、絶対に負けない気持ちで臨んでいました。それはJリーグでプレーしてからも変わることはなかったですが、日本の選手たちとお互いの理解を深めることができたのは、とても有意義なことでした。サッカーについても、多くのことを学びました」

 日本で悩み、苦しみ、喜び、悔しさにもまみれた時間は、洪にとってどんな意味を持つのか──。

「かけがえのない時間でした」

 いつだって勝者であろうとし、決してあきらめない心を持った韓国代表のスーパースターは、代表監督として2026年のワールドカップに挑もうとしている。

著者プロフィール

  • 戸塚 啓

    戸塚 啓 (とつか・けい)

    スポーツライター。 1968年生まれ、神奈川県出身。法政大学法学部卒。サッカー専誌記者を経てフリーに。サッカーワールドカップは1998年より7大会連続取材。サッカーJ2大宮アルディージャオフィシャルライター、ラグビーリーグワン東芝ブレイブルーパス東京契約ライター。近著に『JFAの挑戦-コロナと戦う日本サッカー』(小学館)

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