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「SNSで最もバズっているJリーガー」J3栃木シティ・田中パウロ淳一の人生を変えた中村憲剛のひと言

  • 栗原正夫●文 text by Kurihara Masao

田中パウロ淳一インタビュー(3)

 今季、Jリーグに初参入した栃木シティが、J3初挑戦ながら第20節終了時点でリーグ首位に立つ健闘で、旋風を巻き起こしている。その快進撃の中心にいるのが、FW田中パウロ淳一(31歳)である。

 今でこそ「Jリーグイチバズっている男」と注目を浴びているが、そのキャリアは決して順風満帆ではなかった。

 2012年、大阪桐蔭高から川崎フロンターレに入団した田中パウロは、2年目のJリーグ開幕直後に自ら申し出てクラブを退団している。いったい何があったのか。

インタビューでJ2昇格を誓った田中パウロ淳一(栃木シティ) photo by Kishimoto TsutomuインタビューでJ2昇格を誓った田中パウロ淳一(栃木シティ) photo by Kishimoto Tsutomuこの記事に関連する写真を見る それはプロ1年目のことだった。第16節のヴィッセル神戸戦、守備陣に故障者が続いたことで、田中パウロは不慣れな左サイドバックで初先発を飾る。そしてその試合のピッチ上で中村憲剛にかけられたある言葉が、退団のきっかけになったと振り返る。

「もともとは攻撃的MFやFWでプレーしていました。でも、なかなか試合に絡めず、監督だった風間(八宏)さんと話し、左サイドバックをやることに。内心は嫌でしたけどね。

 最初に出た神戸戦では、相手は完全に僕のサイドから崩しにきました。もちろん相手がくるのはわかっていましたが、僕のミスなどで、流れがつかめない展開が続きました(試合は0-1で敗戦)。僕のミスでボールを奪われシュートを打たれて、自陣のゴールキックになった場面だったと思うのですが、憲剛さんは『(パスの出しどころに困ったら)オレにパスすればいいから』と言ってくれました。同じようなミスが続いて、普通ならカッとなって『何回、ミスすんだよ!』と怒鳴られる場面です。それが、優しく声をかけてくれたわけです。そのときに、まだ自分はここで戦うレベルに達していないんだなと痛感しました」

 自分の得意である攻撃的ポジションでリベンジをしようにも、当時の川崎にはレナトや小林悠ら前線のタレントは多く、加えて翌シーズンには3年連続で得点王に輝く大久保嘉人が加入した。

「メンツを見たら絶対出られないと思い、心が折れました(苦笑)。しかもひとつ年上のMF大島僚太はバリバリ試合に出ていたし、気持ち的にも焦るじゃないですか。最後は紅白戦にも入れず、ひとりでピッチの脇で練習していましたからね。今振り返れば、別の選択肢もあったかもしれませんが、当時はここにいても成長は難しいと感じ、自分ひとりで退団を決めました」

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著者プロフィール

  • 栗原正夫

    栗原正夫 (くりはら・まさお)

    1974年6月11日生まれ、埼玉県出身。大学卒業後、放送、ITメディアでスポーツにかかわり、2006年からフリーランスに。サッカーを中心に国内外のスポーツを取材し、週刊誌やスポーツ誌に寄稿。ワールドカップは1998年、夏季五輪は2004年からすべて現地観戦、取材。メジャーよりマイノリティ、メインストリームよりアンダーグラウンド、表より裏が好み。サッカー・ユーロ、ラグビーワールドカップ、テニス4大大会、NBAファイナル、世界陸上などの取材も多数。

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