川崎フロンターレ・小林悠が大学4年間ずっと居酒屋で働いて学んだこと「バイトリーダーでした」 (2ページ目)
【中村憲剛タイプではなかった】
「いつか子どもたちにも読ませたい」という『SLAM DUNK』が人生のバイブルならば、『ファンタジスタ』には当時のプレースタイルを重ねていた。
「タイトルのとおり、主人公の坂本徹平はファンタジーあふれるプレーをする選手なんですけど、漫画で描かれているプレーをちょっとマネしてみようかなって思ったりして。今の自分しか知らない人には想像できないって言われるんですけど、高校時代のチームメイトは僕のことを『ファンタジスタだった』って言いますからね(笑)。
とにかく、主人公は観客を魅了するプレーをするんですけど、それが本当にカッコよくて。僕自身も、相手を出し抜くというか、相手の意表を突くプレーやパスが好きで。高校時代は、僕と、幼馴染みの小野寺達也と、右サイドにいたもうひとりが絡んで、それこそファンタジーあふれるプレーを見せていました。あっ、でも、ファンタジスタだからといって、中村憲剛タイプではなかったですけどね(笑)」
FWとしてプレーする今も、ボールを持てばゴールを決めてくれそうな期待感が漂うのは、そうした原点にあるのかもしれない。
2列目から最前線にポジションを移したのは、拓殖大学に進学した大学1年生の時だった。負傷者がいた関係で、玉井朗監督からFWでの出場を求められた。
「試合に出られるならと思って、『はい』って即答したんです。その時、初めてFWで試合に出たんですけど、最終ラインと駆け引きするのが面白かったんですよね。試合で活躍できたこともあって、すぐに『FWは楽しいかも』って思いました。そこからFWでプレーするようになって、新人王になったので、ホント、人生は何が起こるかわからないですよね」
関東選抜や1・2年生の選抜チームにも呼ばれ、プロに進むであろう1部リーグの選手たちと過ごすようになってからは、より意識が高まり、結果にこだわるようになった。
「FWはもう、点を取らなければ評価されないし、プロにはなれないと思うようになりました。中盤の選手はチャンスメークや守備も評価の対象になるかもしれないけれど、FWは結果がすべてというか、ゴール数がイコールになっている」
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