川崎フロンターレ・小林悠が大学4年間ずっと居酒屋で働いて学んだこと「バイトリーダーでした」 (3ページ目)
【まるで天下を獲ったような気分】
大学2年生の2007年だった。当時、関東大学2部リーグの得点王レースでトップを走っていたのは、専修大学の荒田智之だった。ふたつ年上の荒田は、13得点の小林を大きく引き離す20得点を挙げて、水戸ホーリーホックへの加入を勝ち取っていた。
「プレースタイル的には、自分のほうがいろいろなことができるタイプだったのに、ゴール数では絶対的に、荒田くんに勝てなかった。とにかく、荒田くんはゴール前で仕事をして、点を取りまくる選手だった。その荒田くんがプロに進むのを知って、FWはやっぱり結果が大事なんだなって実感したんです」
1本のシュートに、1回のチャンスにこだわるようになった。それは試合だけでなく、日頃の練習からも──。
「プロになりたいのならすべて決めろ」
「練習も試合と一緒だからな」
「これを決めなければプロへの道が遠ざかるぞ」
自分自身に言い聞かせ、シュートにすべてを注ぐようになった。それが大学3年生で19得点を挙げ、関東2部リーグ得点王へとつながり、そして川崎への加入にもつながっていた。
インタビュー前編で小林の歩みが「稀有」と表現したのは、関東大学2部リーグからプロへと這い上がってきたからだけではない。
「居酒屋で、ずっとバイトしていました」
聞けば、大学4年間、アルバイトに勤しんでいた。
「1年生の時は朝から授業を受けて、そのあとに練習をしてから、バイトに行っていました。夜勤のほうが時給も高いので遅くまでバイトをして、それから家に帰って寝ていたから、朝は起きられなくて授業をサボったことも......(笑)。高校生の時はアルバイトができなかっただけに、大学生になって自分で働いて、お金を稼げることがうれしかったんです」
1カ月の給与が10万円の大台を越えた時には、振り込まれた口座からお金を引き出して、紙幣を眺めたという。
「自分が働いた結晶というか。10枚の1万円札を前に、まるで天下を獲ったような気分になっていました(笑)。でも、それだけお金を稼ぐことの大変さや苦労は身に染みてわかっているつもりです」
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