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川崎フロンターレ・小林悠が大学4年間ずっと居酒屋で働いて学んだこと「バイトリーダーでした」 (4ページ目)

  • 原田大輔●取材・文 text by Harada Daisuke

【だから今もプロを続けられている】

 2年生になってからは、練習が早朝に変わり、アルバイトする時間帯も変わったというが、その時から働き始めたという店舗では、4年生まで勤め上げた。

「居酒屋ではお酒も作っていましたし、食器も洗っていましたし、お客さんがトイレで嘔吐してしまった時には、その汚れも掃除していました。かなりの古株だったので、完全にバイトリーダーでした(笑)。あっ、でも、店舗の決まりで、吐瀉物だけは古株・新人も関係なく、じゃんけんで負けた人が掃除する決まりでした(苦笑)」

 現役Jリーガーが学生時代、サッカーに関するスクールやイベントの手伝いをしていたという話は聞いたことがあったが、居酒屋で、それも4年間、アルバイトを続けていたケースは初めてだっただけに、驚くとともに感心した。

「バイト仲間も年が近かったので、仲がよくて、楽しかったですね。でも、誰も僕がプロサッカー選手になるとは思っていなかったみたいで、フロンターレに加入すると言った時は驚いていました。たしかに海外遠征に行くとは言ってたけど、本気でサッカーやっていたのかって(笑)」

 高校、大学と、まさに青春を謳歌した小林は、当時を思い出しながら言う。

「自分がそうだったから言えますけど、最後までしぶとく真面目にやっている人が残っていくのかなと思います。自分が大学に入った時も、『真面目に取り組んでいたら絶対にプロになれるのに』と思う人が何人もいました。でも、どっかで自分をあきらめてしまっていたし、自分に逃げ道を作ってしまっていた」

 小林は「でもね」と言葉を続ける。

「それはプロになってからも一緒なんです。何でもっとやらないんだろう、何でもっと真剣に向き合わないんだろうって思ったことは何度もありますから。そういう人はプロにはなれないと思うし、プロになれたとしてもきっと続かない。

 高校の3年間、大学の4年間、人生のうち、たったとは言わないけど、そこだけがんばればいいのに、逃げ道を作って、そっちに流れていってしまう。自分はそこで真面目にやってきた自信がある。だから、今もプロサッカー選手として続けられているとすら思っています。

 もちろん、あきらめずにやってきて、プロになれなかった選手も知っているので、簡単に『あきらめなければ夢は叶う』とは言わないですよ。でも、自分はそうだったからなれたって言いきれます」

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