横浜F・マリノスの「その場しのぎ」は続く 残留は「偶然性にかける」しかないのか (2ページ目)
【再現性が失われた理由】
「戦術云々ではなく、球際!」
しばしば、敗れたチームにはそんな"呪いの言葉"が浴びせられるが、選手は忸怩たる思いだろう。仕組みのないチームで、選手は極めて効率の悪い環境で動かざるを得ない。お互いの意思疎通が薄いことで自ずと迷いが出て、距離感も悪いだけに、一歩が遅れる。必然的に球際も劣勢になる。それを補うため、「気持ち」を見せ、体力は消耗する。旧日本軍の兵士やブラック企業の社員のように、擦り切れるまで戦うしかないが、たとえ成功を収めても次につながる再現性などない。
「勝てば変わる」
そう励まされるのは過酷だ。
再現性が失われた理由は、"監督がいない"からだろう。
昨シーズン、新たに就任したハリー・キューウェル監督は一切、監督の経験がなかった。失礼を承知で言えば、サッカー選手としての知名度で受け入れたようなものだった。その采配はひどく、開幕の東京ヴェルディ戦の時点で、所属選手たちが戸惑っていた。彼らは勝利を拾ったが、意図を持ってボールを前に運べていたのは東京Vのほうで、低迷は必然だった。
シーズン半ば、内部昇格で監督を引き受けたジョン・ハッチソンヘッドコーチも、ろくに監督経験のない人物だった。アンジェ・ポステコグルー時代の主力がどうにか「仕組み」を戻し、最後は巻き返した。しかし、監督としては何も構築できなかった。
今シーズン、クラブはまたも監督経験がないスティーブ・ホーランド監督を招聘し、"見事な"デジャブを実現した。思いつきの3バックを早々に捨てると、他に打つ手はなし。そして多くの主力がチームを去っていたことで、「仕組み」は再構築できなかった。成績不振で、実績の乏しいキスノーボを内部昇格で監督に据えたが、もはや笑えない冗談だ。
まったくプレーは好転せず、大島暫定監督が指揮を取ることになった......。
「(横浜FMは)ボールを動かすチャレンジをしてくると考え、プレスをしっかりかけ、そこから自分たちのゲームにする」
岡山の木山隆之監督は、ゲームプランをそう説明していた。
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