2006年の浦和レッズはなぜ強かったのか 坪井慶介「チームに戦術がなくても、阿吽の呼吸があった」 (3ページ目)
【なぜ無理をしてしまったのか】
もちろん、(小野)伸二も重要な存在でした。ポンテもそうですけど、伸二は技術が高いので、ボールを預けておけばなんとかしてくれるという信頼がありました。
だから僕らは、守備をしっかりとやってボールを奪えば、「あとは頼んだよ」という感覚でしたね。たまに僕も駆け上がったりしましたけど、基本的にはそれぞれの特長を踏まえた役割が決まっていて、それを全うするというチームだったと思います。
ただ、チームはしっかりと結果を出していた一方で、個人的にはシーズン途中から厳しい状況に陥りました。
6月にワールドカップ出場という目標は達成できましたが、そこで結果を出せなかったことは本当に悔しかった。代表から帰って「Jリーグで巻き返したい」という思いはありましたが、新しい代表にも呼ばれるなかで、非常にタフなシーズンでした。
ワールドカップはプレッシャーも大きかったし、肉体的に疲弊したところもあります。いろんなことが重なるなかで、コンディションがうまく戻らなかった部分もありました。
そんな状態で試合に出続けていて、25節の京都戦で左ひざのじん帯を痛めてしまったんです。
そこから3試合休んで、29節の磐田戦で復帰しました。ですが、再び同じ箇所をやってしまい、前半だけで交代になりました。
今だから言えるのですが、そもそも磐田戦には出られる状態ではありませんでした。全然治ってなかったんですよ。でも、ギド(ブッフバルト)に直接「行けるか?」って聞かれて、「行けます」って言っちゃったんですよね。
メディカルは「無理だ」という判断だったんですけど、僕とギドの間で決めてしまって......。それで無理やり出たんですが、開始2分くらいでまた痛めてしまいました。前半だけがんばってやったんですけど、もう無理だなと。
今、思うと、なんで無理をしてしまったのかなって。僕の休んだ3試合も、別に結果が出ていないわけではないんですよ。だから無理をする必要がなかったんですが、監督の思いに応えたかったんでしょうね。
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