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2006年の浦和レッズはなぜ強かったのか 坪井慶介「チームに戦術がなくても、阿吽の呼吸があった」 (2ページ目)

  • 原山裕平●取材・文 text by Harayama Yuhei

【闘莉王は勝手に上がっていく】

 おそらく当時では唯一、浦和は相手にアウェーを感じさせられるチームだったんじゃないでしょうか。実際にこの年は、ホームで一度も負けることはありませんでした(15勝2分でJリーグ史上初のシーズンホームゲーム無敗を達成)。

 個人的に好きなのは、入場する時です。埼スタは階段を上がってピッチに入るのですが、下から上がってくると、パッて視界が開けて、真っ赤に染まったスタンドが目に飛び込んでくるんです。あの瞬間、「やっぱりウチのサポーターはすごいな」と毎試合のように思っていました。

 圧倒的な雰囲気を作ってくれるから、もう、やるしかないんです。逆に変な試合をすれば、厳しいことを言われてしまう。この年は批判を浴びることは少なかったかもしれないですけど、過去にはバスを囲まれたり、卵をぶつけられることもありました。決していいことではありませんが、サポーターの皆さんも本気なんですよ。

 本気で怒って、本気で喜んで、本気で泣いて、僕らと一緒に本気で闘ってくれている──。その思いが伝わってくるからこそ、僕らはやるしかなかったですね。

 戦術がなくても、僕らには阿吽(あうん)の呼吸があったと思います。役割分担はすごくはっきりしていましたね。

 たとえば、攻撃好きの闘莉王が頻繁に上がっていくシーンがクローズアップされましたけど、別に闘莉王から「俺、上がるから、ちょっと後ろは頼むよ」なんて言われたことはありません。気づいたら勝手に上がっていくんですよ(笑)。

 でも、僕らはそれを彼のよさだと理解していたし、実際に結果も出してくれる。だから、彼が上がっていけば、僕と(鈴木)啓太でカバーすればいい。それは決まりごとではなく、自然と身についたものでした。「啓太、行ったよ」「ツボ(坪井)、任せたよ」という感じで、言葉がなくとも勝手に身体が動いていた感じですね。

 自由奔放だけど攻守両面で力を発揮した、闘莉王の存在感は大きかったです。だけど、一番頼りになったのはポンテですね。点を取るという部分ではワシントンのほうが上でしたけど、ポンテの場合は苦しい時に結果を出してくれる。そういうイメージが強かったですね。

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