古巣のヴィッセルに復帰した森岡亮太が引退を決断したわけ 「サッカーが楽しい」という感覚が蘇ってこなかった (2ページ目)
僕がかつて在籍した2010年~2015年と、J1でのリーグ優勝も実現した今のヴィッセルが大きく様変わりしているのは覚悟していましたが、そのヴィッセルにどうすれば貢献できるかを考えてプレーすることが、自分を蘇らせるきっかけになるかもしれないと思っていました」
そうして2024年8月、森岡は8年半ぶりにヴィッセルのユニフォームに身を包む。もっともシーズン途中の加入で、彼自身もまずはコンディションの回復が最優先となったからだろう。すぐに出場機会をつかむことはできなかったが、AFCチャンピオンズリーグ・エリートや天皇杯でメンバー入りを続けると、加入から約1カ月後の天皇杯準々決勝、鹿島アントラーズ戦では先発出場を飾る。
しかも、前半15分にはクロスボールに右足で合わせ、ゴールネットを揺らす。かつてはヴィッセルの10番を背負い、ファンタジスタと愛された男のホーム、ノエビアスタジアム神戸での復帰後初ゴールにスタンドは沸いた。
「ヴィッセルに復帰してすぐの時も、サポーターの皆さんに懐かしの僕のチャントを歌ってもらってすごくうれしかったけど、鹿島戦もウォーミングアップの時から自分のチャントが聞こえてきて......めちゃ感慨深かったです。
チームとしてはイメージどおりに試合を運べたし、勝てたけど、正直、僕のパフォーマンスはよくなかったとは思います。でも、これまで感じてきた応援の心強さとは違う種類の......応援のパワーで点を取らせてもらった。そんな感覚になれたのは15年のキャリアで初めてで、めっちゃ幸せでした」
ただ、その感覚を味わってでさえも、自身に新たなモチベーションが湧いてくるのは感じられなかったという。これは、ヴィッセルに復帰してからも、ケガに苦しめられたのが大きな理由だ。ヨーロッパで患った神経系のケガは完治したが、その一方で、アクシデント的に腓骨を痛めたり、他の箇所に痛みを感じるといった状況が続き、ストレスフリーでサッカーができる状態をなかなか見出せなかった。
「プレーしていても、昔のようにワクワクした気持ちでサッカーをすることも、観ている人を楽しませるプレーもできなかったというか。実際、自分のイメージするプレーと体とのギャップとか、感覚的なズレも大きかったし、以前のように『ああ、楽しかった!』で終わる日は1日もなかったです。
サッカーが楽しいというよりは、毎日が綱渡りで『ああ、今日もケガなく練習を終われてよかった』とか『今日は痛みなくこういういいプレーができてよかった』とホッとして終わる、みたいな。自分にとってのポジティブな感覚のマックスの状態が、楽しいではなく"安堵感"でしかなくなっていました」
それでも、かつてとは大きく様変わりしたチームがたくましく上位を争う姿や、近い世代の大迫勇也や武藤嘉紀、酒井高徳や山口蛍らが先頭に立ってチームを牽引する姿を刺激にしながら、なんとか状況を覆そうと戦いを続けたが、シーズンが終盤に差し掛かっても、自身のなかに「サッカーが楽しい」という感覚が蘇ってこない。天皇杯優勝とJ1リーグ制覇という森岡にとってはキャリアで初の"タイトル"を味わっても、その喜びはすぐに自分への不甲斐なさで打ち消された。
2 / 3