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「3.11」復興応援試合で観客の少なさに思うこと 14年目の今「震災」をどう報じるべきか (3ページ目)

  • 戸塚 啓●取材・文 text by Totsuka Kei

【選手たちが格別な勇者に見えた】

 3月8日に行なわれた長崎とのホームゲームは、1-1のドローに終わった。試合後の取材エリアで「震災」や「復興」がキーワードになることはない。試合に関するやり取りが交わされていく。

 東日本大震災が発生した2011年や、J1リーグで2位に食い込んだ2012年、さらにはクラブ史上初のACL出場を果たした2013年あたりは、「無垢なヒロイズム」というフィルターを通してベガルタを見つめる報道が多かったと思う。

 ほかでもない僕自身も、被災した当事者でありながら自身を奮い立たせ、「被災地と被災者の希望の光になる」と団結した手倉森誠監督と選手たちが、格別な勇者に見えたものだった。

 胸のなかに不安を抱えながらも、ベガルタを応援してくれる人のために、応援したいけれどスタジアムに来られない人のために、彼らは覚悟を固めていった。自分で覚悟を固めたというよりは、模索や逡巡のただなかにあるうちに時間が進んでいったのかもしれないが、過酷な現実に立ちすくむことなく、使命感と責任感を結果に結びつけた。

 文字どおりに、被災地の「希望の光」となったのだった。

 当時の戦いに断片的にでも触れた僕は、毎年3月にベガルタのホームゲームへ取材に行き、選手たちの声を聞いてきた。「聞いてきた」つもりだったのだが、実は「言わせてきた」のではと思えてきた。

 この日の試合後、宮城県仙台市出身の工藤蒼生選手に話を聞いた。後半終了間際から出場した彼に、試合について話せることは少ない。それでも、試合前の黙祷について聞くと、折り目正しく答えてくれた。

「自分も震災に遭いましたので、いろいろな思いがありました。自分たちはサッカーで夢と希望を与えられるように、がんばらないといけないとあらためて感じました」

 誠実さにあふれる工藤選手に触れて、彼に「言わせている」気がしてならなかった。もっと言えば、これまでずっとベガルタの選手たちに震災について言わせてきたのでは、と思い至ったのだ。声にならない思いを、積極的に明かしたくない思いを、無理やり引き出していた気がしてならなかった。

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