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「3.11」復興応援試合で観客の少なさに思うこと 14年目の今「震災」をどう報じるべきか (2ページ目)

  • 戸塚 啓●取材・文 text by Totsuka Kei

【震災の記憶は風化したのか?】

 ハーフタイムにメインスタンド付近のコンコースでスマホに触れていた男性に声をかけた。「復興応援試合としては、もう少し盛り上がってもいいような気がするのですが......?」と遠慮気味に聞く。仙台市内在住だという40代の男性は、スマホをコートのポケットにしまってから答えてくれた。

「3.11を忘れない気持ちはもちろんあるし、あの震災で亡くなった人のことを思う時間は、14年経った今も全然変わらないですよ。でも、今は大船渡が大変だし。東日本大震災のあとだけでも、日本のいろいろなところで災害が起こっていますからね......」

 台風、大雪、豪雨、噴火、さらには地震と、全国各地で自然災害が発生している。大船渡市を襲った大規模な火災に前後して、大雪による被害も相次いだ。

 男性に思わず聞いた。

 能登半島地震の被災地へ行ったことはありますか──。

「いえいえ、僕はないです」と、顔の前で手を振る。「あっ、でも」と、少し遠慮気味に続ける。

「知り合いで行ったことのある人とか、何回か行っている人はいますよ」

 自分たち以外にも、大変な人たちはたくさんいる。「3.11」の記憶は決して忘れないけれど、今まさに支援を必要としている人たちに手を差し伸べたい──東日本大震災で被災した人たちは、2011年に感じた連帯を大船渡で、能登で、あるいはもっと以前から全国各地で、作り出しているのかもしれない。

 ふと、我に返る。

 復興応援試合にたくさんの観衆が詰めかけなかったのは、震災の記憶が風化したからではなく、震災前の日常を取り戻す人が増えたからなのかもしれない。

 はっきりしていることがあるとすれば、14年という年月の積み重ねによって、震災との向き合い方が、ひとつやふたつではなくなってきているということだ。だからきっと、観客動員という数字には表われないところにも、東日本大震災からの復興を願う人たちはいるのだろう。

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