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南雄太のプロGK生活〜光と影の26年 「20代は勘違いしていた。30歳で戦力外通告を受けて気づいた」 (3ページ目)

  • 中山 淳●取材・文 text by Nakayama Atsushi

【レイソル時代は練習が大嫌いだった】

── ひとつ聞きたかったのは、将来の日本代表正GK最有力候補と言われた南さんが、シドニー五輪予選のあたりから調子を落として、そのまま日本代表から遠ざかったしまったことです。あの頃にいったい何があったのか、教えていただけますか?

「完全に勘違いしていたんです。周りからチヤホヤされて、ふわふわしてしまったというか、その環境にどっぷり浸かってしまいました。物事がうまくいきすぎて、まったく努力をしなくなっていたというのが、当時の僕でした。

 そうこうしているうちに、周りの同年代の選手は海外などにも行ってどんどん活躍しているのに、僕はレイソルでJ2に降格したりして、うまくいかないことがずっと続いて、焦りばかりが先行するようになっていました。20代半ばの頃は、どうしたらいいのかわからないままサッカーをしていたのを覚えています。

 そんななかでも、矢印を自分に向けられなくて、監督に使ってもらえなければ他人のせいにして、結局、そんな状態のまま30歳を迎えた時にレイソルから戦力外通告をされてしまった。そこで、ようやく自分の問題に気づきましたね」

── 南さんが調子を崩した背景には、そんなことがあったんですね。

「ただ、レイソルとの契約が終わった時に、それに気づいたことで変わることができました。それからは、自分のキャリアはいつ終わるかわからないと思うようになり、練習も100パーセントでやるようになって、朝6時半から夕方4時頃まで練習場にいるようになりました。

 レイソル時代は練習が大嫌いで居残り練習なんかしたこともなく、練習の30分前にグラウンドに来て、終わったらすぐに着替えて帰ってしまうような選手でした。筋トレもしませんでしたし、ケガをしても面倒だからと言ってまともに治療もしない。たぶん、ロアッソ熊本時代以降に僕を知った人は、想像もつかないと思いますよ(笑)。

 ただ、今はレイソル時代の経験があったからこそ、その後に長くプレーすることができたと思っています。もしあのままレイソルにいて気づかないままだったら、おそらく30代前半で引退していたんじゃないかと思うので、そういう意味でも、いろいろ気づかせてくれたレイソルにも感謝しています」

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