南雄太のプロGK生活〜光と影の26年 「20代は勘違いしていた。30歳で戦力外通告を受けて気づいた」 (2ページ目)
【中3はバスケしかしていなかった】
── GKの引退試合として、今後のお手本になるかもしれませんね。そんなGKとしてのキャリアを最後までまっとうした南さんですが、今日はご自身のキャリアを振り返っていただきたいと思います。
南さんと言えば、静岡学園の1年生GKとして高校選手権で優勝して一躍脚光を浴び、高校3年生の時には飛び級でU-20日本代表の正GKとなってワールドユースに出場。まさに鳴り物入りで柏レイソルに入団という、まさにエリート中のエリートでした。
「いや、僕のなかではエリートという感覚はなかったですよ。そもそも中学時代は試合に出たことがありませんでしたし、中学3年の時はほとんど練習にも行かず、バスケットボールしかしていませんでしたから(笑)。高校に進学する時もサッカーかバスケットボールか、どちらを選ぶのか真剣に悩んだほどで、静岡学園のセレクションに受かっていなかったらサッカーをしていなかったかもしれません」
── とはいえ、高校1年生の時に正GKとして日本一になりました。わずか1年で急成長できたのはなぜですか?
「運がよかったんだと思います。静岡学園の井田(勝通)監督が下の学年の選手を積極的に起用する指導者だったこともあり、夏のインターハイの県予選で負けたあと、突然『お前が出ろ』って言われて練習試合に出て、それから正GKになりました。当時の静岡学園はめちゃくちゃ強くてほとんど負けることがなかったので、そのまま冬の選手権を迎えたという感じでしたね」
── そうは言っても、実力がなければ年代別の日本代表に選ばれることはないと思います。当時はどのあたりを評価されていたと感じていましたか?
「自分ではよくわかりませんが、ひとつ確かなことは、静岡学園にブラジル人のGKコーチがいたことが大きかったですね。当時はGKコーチがいる高校がほとんどないなか、僕は3年間GK専門のコーチの下でGK練習をすることができたので、ほかの高校のGKと大きな差が生まれたんだと思います。それも含めて、環境に恵まれていました。
あとは運がよかったのもありますね。レイソルでも1年目に西野(朗)監督が僕を抜擢してくれたんですが、その背景には人間関係があったのではないかと思っていて、それは高校1年生の時も同じような経験をした記憶があります。そういう意味で、実力以外の部分でものすごく運がよかったというか、恵まれた境遇にあったと思っています」
2 / 4