日本サッカーを見続けて35年 ゲルト・エンゲルスが「対戦してやりづらかった」プレーヤー5人は誰?
ゲルト・エンゲルスが語る(前編)
「対戦してやりづらかったプレーヤー5人」
日本人選手が当たり前に、欧州5大リーグで活躍するようになった。
日本代表として定着しているメンバーを見ても、海外組がほとんど。5大リーグのなかでもトップクラブ、チャンピオンズリーグでも優勝争いを狙えるクラブで常時活躍する日本人選手が出現しないことを歯がゆく思うほどに、見る側の期待値も上がっている。
だが、ワールドカップに臨む日本代表において海外組が過半数を占めるようになったのは、2014年のブラジル大会以降のこと。それ以前は、国内組を主体に日本代表も戦っていたのだ。海外移籍が当たり前でなかった時代の日本人トップ選手に、今のように海外移籍のチャンスがあったらどうなっているだろうかと、空想することもある。
ゲルト・エンゲルス氏が徳島のヘッドコーチとして帰ってきた photo by Iwamoto Taiseiこの記事に関連する写真を見る 今回、1990年代から現在まで35年も日本サッカー界に関わってきたゲルト・エンゲルス氏に話を聞いた。
ゲルト氏と日本の縁は深い。1990年に来日し、Jリーグ元年の1993年に横浜フリューゲルスのコーチを務め、のちに監督に昇格したが、横浜マリノスとの合併、クラブの消滅を監督として経験した。1999年からはジェフユナイテッド市原の監督、2000年からはヘッドコーチとして京都パープルサンガに入り、のちに監督としてJ2優勝、天皇杯優勝も果たした。
2004年からは同じドイツ人のギド・ブッフバルト、ホルガー・オジェックのアシスタントとして浦和レッズのヘッドコーチを務め、2008年からは監督も務めた。2010年代にはモザンビーク代表監督、ヴィッセル神戸のヘッドコーチ、京都サンガのコーチ、INACレオネッサの監督を務めた。
近年のゲルト氏は、自身が生まれ育ったドイツ・デューレンを拠点に日本人のサッカー留学支援や発掘など、日本との関わりを生かした活動を行なっている。そして2025年、徳島ヴォルティスのヘッドコーチに就任し、再びJリーグの舞台に帰ってくることになった。
ゲルト氏には今回、日本での監督・コーチ時代を振り返ってもらい、当時やりづらかった選手5人をピックアップしてもらった(取材は2024年10月・ドイツにて)。
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著者プロフィール
了戒美子 (りょうかい・よしこ)
1975年生まれ、埼玉県出身。2001年サッカー取材を開始し、サッカーW杯は南アフリカ大会から、夏季五輪は北京大会から現地取材。現在はドイツを拠点に、日本人選手を中心に欧州サッカーを取材中。著書『内田篤人 悲痛と希望の3144日』(講談社)。