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現役引退発表の元日本代表・豊田陽平 運命だったサガン鳥栖との出会い「鳥栖でなかったら、今の自分はない」 (3ページ目)

  • 小宮良之●文 text by Komiya Yoshiyuki

 2011年、筆者が連載ノンフィクション記事で、初めて彼にインタビューしたとき(『フットボール・ラブ』『グロリアス・デイズ』/集英社)、豊田は葛藤を漏らしていたことがある。

「昔のプレー動画を見ていると、自分はとげとげしさがあったし、人を近づけない感じがありました。何をするのでも自信がみなぎって、全部のパスをゴールの枠に飛ばせる気がして。それが尖っている自分に恥ずかしさを覚えて、チームのなかに収まろうって思ったんです。でも、それで迷いが出て......ゴール前で仕事をするには、やっぱり強引さをなくしちゃいけないんですよね」

 豊田は、2008年北京五輪で日本の大会唯一のゴールを決めたが、多くの五輪代表選手が日本代表入りする一方、J2でのプレーを余儀なくされていた。そのなかで、悔しさを噛み締めながらも、とことん、自分なりの答えを探しているようだった。その結果、鳥栖で英雄になったし、日本代表でもアルベルト・ザッケローニ、ハビエル・アギーレ、ヴァイッド・ハリルホジッチという3人の代表監督に招集されているのだ。

 かつて豊田が鳥栖をJ1に昇格させたことで、鳥栖はJ1で戦い続けることができた。引退すると同時に、クラブはJ2へ降格することになった。その鳥栖に戻って再び汗をかく......それも彼の運命なのかもしれない。

著者プロフィール

  • 小宮良之

    小宮良之 (こみやよしゆき)

    スポーツライター。1972年生まれ、横浜出身。大学卒業後にバルセロナに渡り、スポーツライターに。語学力を駆使して五輪、W杯を現地取材後、06年に帰国。著書は20冊以上で『導かれし者』(角川文庫)、『アンチ・ドロップアウト』(集英社)など。『ラストシュート 絆を忘れない』(角川文庫)で小説家デビューし、2020年12月には『氷上のフェニックス』(角川文庫)を刊行。パリ五輪ではバレーボールを中心に取材。

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