現役引退発表の元日本代表・豊田陽平 運命だったサガン鳥栖との出会い「鳥栖でなかったら、今の自分はない」 (2ページ目)
【常に語っていた「鳥栖の強さ」】
<鳥栖で結果を残すことで自分は成長し、自分が成長することによって、鳥栖はさらに強くなる>
豊田にはその感謝があり、「鳥栖でなかったら、今の自分はない」という律義さが動力になっていたのである。
彼にとって、鳥栖というクラブでプレーしたことが運命的だった。当時、ユン・ジョンファン監督が率いていたのもあったが、際だった「結束」のなかでプレーすることで、血沸き肉躍ったという。自分が誰かのために、誰かが自分のために、という共闘精神のなかで無敵になれた。
「鳥栖の強さは試合最後の10~15分に出ると思うんです」
豊田は常々、そう語っていた。
「最後のところで、ぐんと走りに伸びが出てくるというか。それは特別なトレーニングというよりも、ふだんの練習の厳しさにあると思います。日頃からのひたむきさ、あきらめない、という部分は僕らの原点。毎日の練習から真剣に挑むという振る舞いは、このチームに所属した以上、決して忘れてはいけないことです。それは鳥栖の伝統だと思うし、僕らは若い選手へと継承していかないといけません」
一方、豊田は単純な根性論や懐古主義には迎合しない。
たとえば、「朝日山」の話になった時だ。「朝日山」は市内にある小高い山だが、"地獄のトレーニング"を意味し、290段もの階段を駆け上がった後、なだらかな坂での下り、上り、下りを繰り返す。それは鳥栖の伝統だが......。
「個人的に思うのは、周りが"朝日山をやらないと勝てない"みたいになるのはどうかと思います。それぞれ監督のやり方もあると思うし、"やれば勝てるおまじない"ではない」
豊田はそう信条を語っていた。論理的なアプローチがあったからこそ、ゴールを積み重ねることができたのだ。
彼は、いつだって自分の姿勢や行動を顧みて決断をしてきた。ストライカーの本能だけには頼らなかった。思考する。それが豊田というストライカーだったし、ゴールを、勝利を逆算し、ピッチの上ではヒールにもなることができた。その苛烈さが本能的にも見えたのだった。
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