森脇良太が衝撃を受けた「人生の恩師」ミシャの言葉 「こんな監督がいるのか」 (5ページ目)
【伝統の「森脇芸」が誕生したきっかけ】
── あの大会で「森脇芸」と称される伝統芸が生まれたんですよね(※優勝時に森脇選手がカップを掲げ、ほかの選手が反応しないお約束のネタ)。
「いや、あの時はまだ生まれてないです。でもアジアカップの時も、長谷部(誠)さんとか佑都とかが、『お前、前で何かやれよ』みたいなことを言ってくれて。さすがに試合に出てないので、遠慮したんですけどね」
── 2012年の広島の優勝時が初披露ですか?
「広島の時もやってないです。あの時はシャーレを掲げられなかったんで。僕も掲げたいなと思ったけど、(佐藤)寿人さんとかアオちゃん(青山敏弘)とか森﨑兄弟(和幸・浩司)とか、主役はいっぱいいましたからね。自分はまだ若いほうだったので、先輩方をリスペクトしないといけなかったんですよ」
── では、伝統芸の誕生は浦和時代ですか。
「そうですね。たしか2015年のファーストステージで優勝した時が、最初だったかと。槙野が仕込んだんですよ。そのあとに、ルヴァンカップの時もやったし、天皇杯でもやったし、ACLでもやりました。やったというよりも、やられているんですけどね(笑)」
── それを今や、ほかのチームもマネするようになっています。
「ありがたいですね。槙野が発起人で作ってくれたんですけど、自分の芸として広がってくれているのは、本当にうれしいことです」
(つづく)
◆森脇良太・後編>>「世界でも通用する監督になりたいと本気で思っています」
【profile】
森脇良太(もりわき・りょうた)
1986年4月6日生まれ、広島県福山市出身。2005年にサンフレッチェ広島ユースからトップチームに昇格。翌年から愛媛FCで2年間プレーしたのち、2008年に復帰してJ1優勝(2012年)に貢献する。2013年に浦和レッズへ移籍し、ルヴァンカップ、ACL、天皇杯を制す。その後、京都サンガF.C.を経て2022年から愛媛で再びプレーし、2024年シーズン後にユニフォームを脱いだ。日本代表歴=3試合得点。ポジション=DF。身長178cm、体重72kg。
著者プロフィール
原山裕平 (はらやま・ゆうへい)
スポーツライター。1976年生まれ、静岡県出身。2002年から『週刊サッカーダイジェスト』編集部に所属し、セレッソ大阪、浦和レッズ、サンフレッチェ広島、日本代表などを担当。2015年よりフリーランスに転身。
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