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森脇良太が衝撃を受けた「人生の恩師」ミシャの言葉 「こんな監督がいるのか」 (3ページ目)

  • 原山裕平●取材・文 text by Harayama Yuhei

【結婚式どころじゃなくて、すぐに帰国】

── 広島時代はミシャの下でタイトルを獲れませんでしたが、日本代表に名を連ねるまでに成長を遂げました。

「もう、びっくりですよね。自分が日本代表に参加できるなんて、夢にも思っていませんでしたから」

── 2011年のアジアカップで当時アルベルト・ザッケローニ監督が率いる日本代表に初めて呼ばれたんですよね。

「最初は練習生だったんですけどね。アジアカップの前に代表チームが国内合宿をしたんですけど、人が足りないからJリーガーの練習生を何人か入れたいという話があって。でも、シーズンオフだったのでなかなか人が集まらなくて、そこで僕にも声がかかったんですよ。

 こんなチャンスは滅多にないじゃないですか。もう練習生だろうが、靴磨きだろうがなんでもいいから、とにかく行かせてほしいと言って、参加させてもらいました。

 それで合宿が終わって、代表チームはアジアカップに向かったんですけど、僕はそのままオフに入ったんです。そしたら、代表メンバーにケガ人が出たということで急遽、追加招集されたんです。

 その時、実は兄貴の結婚式がグアムであったので、家族で行っていたんですよ。そこに追加招集の話があったから、もう結婚式どころじゃなくて、すぐに帰国して、準備して、あたふたしながらカタールに向かったことを覚えています」

── 練習参加しておいてよかったですね。

「そうなんですよ。そもそも断る余地なんかまったくなかったんですけど、代表選手と一緒に練習できるなんて、こんなに幸せな時間ないじゃないですか。それが1日だろうが、1時間だろうがよかったんですよ。このチャンスを逃すわけにはいかなかったですね」

── それが代表入りにつながるわけですから、驚きのサクセスストーリーですよね。しかも代表招集歴ゼロで、あのような国際大会のメンバーに選ばれることはかなりのレアケースです。

「普通ならあり得ないですよね。一度は手もとで見た選手を選ぶはずですから。

 練習参加した時も、とにかく自分の色は出したいなと思って、アグレッシブなプレーを意識しました。声出しも自分の特徴だと思っていたので、練習生だけど、誰よりも声を出してチームを盛り上げたという自負があります。

 やっぱり何かインパクトを残さないとダメじゃないですか。せっかくの機会ですから」

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