森脇良太が衝撃を受けた「人生の恩師」ミシャの言葉 「こんな監督がいるのか」 (4ページ目)
【本田圭佑がいるじゃん、みたいな】
── 盛り上げ役としても評価されたのかもしれないですね。
「本当に、それもあると思うんですよ。むしろ、9割ぐらいはムードメーカーとして呼ばれたと思います(笑)。あの時は槙野がケガで離脱して、(酒井)高徳も離脱したので、ガヤがいなくなっちゃったんですよ。
もしかしたら、ザック(アルベルト・ザッケローニ)さんじゃなくて、代表スタッフが選んだのかもしれない。盛り上げられる奴がいなくなったから、どうしようかとなって、そういえばこの前、うるさい奴がいたなと(笑)」
── あの時のアジアカップメンバーは、同年代の選手が多かったですよね。初招集とはいえ、溶け込みやすかったのでは?
「いやいや、彼らは海外でバリバリやっていたし、スーパースターでしたから。自分とはレベルの差があったので、同年代ではあったけど気後れしましたよ。『おっ、本田圭佑がいるじゃん』みたいな(笑)」
── 敬語を使ったり?
「最初はなんて呼んだらいいかわからなかったですね。同級生だから『本田』でいいんでしょうけど、『本田さん、かな?』とも思いながら。
でも、最初の会話は『お願いします』って、敬語でしたね。向こうは、『おう、よろしく』みたいな感じでしたけど。『あれ、俺は年下だったかな?』って(笑)。でも、やっぱりオーラがすごかったですね。
ほかにも(長友)佑都もいたし、(香川)真司や岡ちゃん(岡崎慎司)もいましたけど、彼らと過ごしていろんなことを話すと、やっぱり意識が高いし、本気でトップを取りたいと思っている選手はこうも違うのか、と痛感させられましたね」
── 初招集で優勝を経験するなんて「持っている男」ですよね?
「いやいや、自分は1試合も出てないので、そこに貢献できたかわからないですけど」
── ガヤ効果があったのでは?
「もちろん、メンバーに選ばれている以上はチームのためにという思いがありましたし、サブメンバーでもベンチから盛り上げていくことはできます。それが優勝するチームには絶対に必要だと思っていたので、試合に絡めずに悔しい気持ちがあった一方で、出ている選手を盛り立てながら、いい雰囲気を作ることが自分の役割だと思っていました。それを全うできたという意味では、優勝に貢献できたなと思っているんですよね」
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