浦和・宇賀神友弥が引退を決意した瞬間「他人のプレーを心の底から喜んでいる自分がいた」 (4ページ目)
【ミシャとの出会いで変わったサッカー観】
── サッカー選手としての人生を変えてくれたペトロヴィッチ監督との出会いによって、サッカー観はどのように変化していったのでしょうか?
「自分のポジショニングや動き出すタイミングによって、自分がボールを持っていない時でも周りを活かせることが、徐々にわかるようになりました。少しピッチを俯瞰で見られるような。
この選手はこう動くから、こうしよう。この選手はこういうプレーが得意で、苦手だから、対戦相手も含めて当てはめてみて、こう対応してあげようとか。自分の手の届く範囲においては、まるで自分がコントロールしているかのような感覚を抱くことができるようになりました。
そのうえで、ポイントでは自分も活躍しなければならないので、目立つところでは自分も目立つプレーを取捨選択できるようになっていったと思っています」
── 毎年のように同じサイドバックに新加入選手が加わりながら、試合に出続けられたのもそこに秘密がありそうです。
「先ほど言った、自分の手が届く範囲が少しずつ広がっていったように思います。また、浦和レッズに加入してくる選手の多くは、ほかのクラブですでに活躍していた選手たちなので、個々の能力が非常に高かった。そのなかで自分が生き残っていくために、そうした選手たちから何を学ばなければいけないのかも考えてきました。
その選手は、どこが優れていて、どこを評価されて、浦和レッズに来ることになったのか。そこを分析して、自分にも落としこんでいく。また、新加入選手はどこかのタイミングで必ずチャンスがあるだけに、それがうまくいかなかった時に、自分が出たらうまくいったという結果を残すことも意識し続けてきました」
── 今、最後に言ってくれた「うまくいった結果」というのは、すごく大事なように思います。
「めちゃめちゃ大切だと思っていました。自分の経験をもとに、今季は若手選手とそうした話をたくさんしました。先ほど名前を挙げた佳穂とも。
『お前がボールを受けてから、うまいプレーをすることはみんな知っているよ』って。『でも、佳穂がいると、佳穂がボールを触っていなくても、チームはうまくいく領域には達してないよね』とも伝えました。そうなった時がチームは機能している時で、『お前のうまさを出すのは、その最後のところだ』とも伝えていました。
僕には、佳穂はボールを触りたいがゆえに、すべての局面に顔を出そうとしているように見えたんです。でも、自分がパスコースから消えたとしても、ほかの人が生きて、その次で自分が関われればいい」
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