J1連覇を狙うヴィッセル神戸のスタジアム 半世紀前に世界的スーパースターも感嘆した芝の美しさ (3ページ目)
【神戸は日本のサッカーの先進地だった】
後日談がある。
1986年のメキシコW杯の時、メキシコ市内でアディダス社のレセプションに行った。会場を歩いているとエウゼビオがひとりで立っていたので話しかけてみたのだ(エウゼビオは北米リーグでもプレーしていたので英語も流暢だった)。そして、神戸の試合の話をしたら、「ああ、神戸のスタジアムはすばらしい芝生だったなぁ」と懐かしそうに言うのだ。
世界的なスーパースターであるエウゼビオが覚えていてくれたのだから、御崎サッカー場の芝生は本当にすばらしいものだったのだろう。
神戸にこうしたすばらしいスタジアムができたのは、偶然ではないのかもしれない。神戸は日本のサッカーの先進地だったからだ。
サッカーというスポーツは19世紀にイングランドで作られた新しいスポーツだった。それで、どこの国でもまず英国人がたくさんやって来る港町でサッカーが盛んになった。たとえば、イタリアでは英国との貿易が盛んだった北西部の港町ジェノヴァで最初のサッカークラブが作られた。
近代日本で港町と言えば、横浜か神戸だ。
徳川幕府が欧米諸国と締結した「安政の五カ国条約」に基づいて神奈川(横浜)や兵庫(神戸)、函館などを開港。外国人居留地が造られ、各国の貿易商や外交官などが居を構えて欧米の文化を日本に伝えた。
彼らは同時にスポーツにも熱心で、神戸では1870年に神戸リガッタ・アンド・アスレティック・倶楽部(KR&AC)というスポーツクラブが結成された(現在も三宮駅近くの磯上公園内にクラブハウスがある)。
ただし、「神戸がフットボール発祥の地」というのは間違いだ。
日本で最初に(外国人たちが)フットボールを行なったのは横浜だった。幕府は京都に近い兵庫(神戸)の開港を延期させたので、神戸が開港したのは1868年だった。一方、横浜はすでに1859年に開港しており、神戸に外国人がやって来るより前から盛んにフットボールが行なわれていた。
いずれにしても、横浜や神戸の居留地では外国人がフットボールに興じていた。
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