川崎フロンターレ退団発表のFWゴミスが日本を語る「どこに行っても驚くほどに美しい」
川崎フロンターレ バフェティンビ・ゴミス インタビュー 前編
Jリーグは現在、じつに多くの国から、さまざまな外国籍選手がやってきてプレーするようになった。彼らはなぜ日本でのプレーを選んだのか。日本でのサッカーや、生活をどう感じているのか? 今回は川崎フロンターレのFWバフェティンビ・ゴミスをインタビュー。残念ながらこの度退団が発表されたが、欧州トップクラスを長く経験した彼が日本へ来た理由。そして実際に日本でプレー、生活してみた印象に耳を傾けてみたい。(※取材は8月末に行ないました)
中編「ゴミスが『日本のフットボールの未来は明るい』と確信する理由」>>
後編「ゴミスが語るフランスと日本のサッカーの違い」>>
バフェティンビ・ゴミスは2023年からJリーグでプレー。欧州トップレベルで活躍してきたFWだ photo by Kishiku Toraoこの記事に関連する写真を見る
【日本はあらゆる意味合いにおいて、興味深い国だと思っていた】
今季のJリーグでもっとも国際的に名の通る外国籍選手といえば、川崎フロンターレのバフェティンビ・ゴミスだった。
ミシェル・プラティニ(1970~80年代に活躍したフランスサッカー界の大スター)も活躍したサンテティエンヌの下部組織で鍛えられ、リーグ・アンやプレミアリーグでプレーし、チャンピオンズリーグにも出場。ガラタサライでは2度の在籍期間中に1度ずつトルコ・スパーリグを制覇。その間にはアル・ヒラルに3シーズン半にわたって所属し、サウジ・プロリーグとAFCチャンピオンズリーグ(ACL)で2度ずつ優勝している。
2019年11月に埼玉スタジアムで行なわれた浦和レッズとのACL決勝第2戦では、アンドレ・カリージョのアシストから2試合合計3点目となるダメ押しゴールを奪った。トレードマークの猛獣のゴールパフォーマンスを見せつけられて、悔しさを味わった浦和ファンも少なくないだろう。
フランス代表の一員としてEURO2008にも出場したストライカーは2023年8月、川崎に加入。38歳の誕生日の2日後のことだった。
「私はそれまでにフランスや英国、トルコ、サウジアラビアでプレーしてきた」とゴミスは最初の質問に応じた。
「ガラタサライとの契約が満了して、自分のキャリアの最後にヨーロッパ以外の国でプレーしたいと考えていたんだ。できれば、フットボール以外にも豊かな文化があるところがいいと思っていたら、川崎からオファーが届いた。当初はフランスから遠いので少し迷ったが、そこで得られることを考えたら、断るわけにはいかなくなった。日本はあらゆる意味合いにおいて、興味深い国だと思っていたから」
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著者プロフィール
井川洋一 (いがわ・よういち)
スポーツライター、編集者、翻訳者、コーディネーター。学生時代にニューヨークで写真を学び、現地の情報誌でキャリアを歩み始める。帰国後、『サッカーダイジェスト』で記者兼編集者を務める間に英『PA Sport』通信から誘われ、香港へ転職。『UEFA.com日本語版』の編集責任者を7年間務めた。欧州や南米、アフリカなど世界中に幅広いネットワークを持ち、現在は様々なメディアに寄稿する。1978年、福岡県生まれ。