ベテラン藤春廣輝の気づきとマインドの変化「キャリアを積むうちにチームのなかでの自分を考えるようになった」 (4ページ目)

  • 高村美砂●取材・文 text by Takamura Misa

 それらはすべて、この先もピッチで走り続けるため。プロになったときには「翌日の練習ですら、乗りきれるのか不安だった」というキャリアは、自身の想像を遥かに超えて今年で14年目を数えるが、今のところ「引退の"い"の字も考えていない」そうだ。

「ピッチで走れなくなるとか、思うように体が動かなくなったらやめようと思っているけど、今のところはまったくそのつもりはないです。練習では若い選手に負けないくらい『走ってやる』『戦ってやる』って思っているし、実際に公式戦でも毎試合、チームで1~2番の12キロくらいは走れています。

 今の目標は、35歳の僕を必要としてくれた琉球がひとつでもカテゴリーを上げて、全国に知ってもらえるチームになるために力を尽くすこと。また、僕自身がここからまた上のステージに這い上がっていくことも諦めていません。僕がその背中を見せられたら、それもまた若い選手の刺激になるはずやから」

 そんな藤春を擁する琉球は現在、J3リーグで5位。昨季の同時期が13位と出遅れたことを思えば、J2復帰に向けて上々の序盤戦と言えるだろう。そして5月22日には、ルヴァンカップ1stラウンド3回戦のセレッソ大阪戦に臨む。会場は再びホーム、タピック県総ひやごんスタジアム。彼の言葉を借りれば、ガンバ戦に続き、再度「沖縄の人たちに琉球を知ってもらう絶好の機会」がやってくる。

「沖縄ではまだまだバスケット人気が高いけど、ガンバ戦と同様に、J1クラブとの試合を通して、少しでもサッカーに興味を持ってもらえる試合をしたいと思っています。あとは、長らく熱々の"大阪ダービー"を戦ってきた僕だけに、やっぱりセレッソには負けたくない」

 そしてそのピッチでは、ガンバ時代、圧巻のスピードで左サイドを駆け抜けた姿とはまたひと味違う、藤春廣輝の姿をきっと楽しめる。

(おわり)

藤春廣輝(ふじはる・ひろき)
1988年11月28日生まれ。大阪府出身。大阪体育大卒業後、2011年にガンバ大阪入り。プロ1年目のシーズン終盤にはレギュラーの座を確保。以来、ガンバひと筋、スピードと精度の高いクロスを武器とした左サイドバックとして活躍した。2014シーズンにはJ1復帰初年度でのリーグ、カップ、天皇杯の三冠獲得に貢献。2015年には日本代表にも招集され、翌2016年にはオーバーエイジ枠でリオデジャネイロ五輪に出場した。2023年、契約満了によりガンバを退団。J3のFC琉球へ完全移籍。2024シーズンから同クラブで奮闘している。

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