横浜FMの天野純が味わった歓喜と辛酸 韓国での「最高のシーズン」と過酷な日々の落差 (3ページ目)

  • 佐藤 俊●取材・構成 text by Sato Shun

 蔚山現代では、公式戦38試合に出場し、12ゴールを挙げた。主力選手として活躍し、リーグ優勝にも貢献した。

――1年目にこれだけ結果を残せたのは、何が要因だったのでしょうか。

「蔚山のサッカーに自分がハマったのが大きいですね。中盤を含めて、うまい選手が多くて、僕がパスを出すとそれを理解してくれるというか、フィーリングがめちゃくちゃ合ったんです。だから、試合はすごく楽しかったですし、自分のよさを活かせたかなと思います」

――プレーしていくなかで、自分のスタイルに成長も感じられましたか。

「日本でやっていた時はチームの構造もあったし、得点は外国籍選手任せになっていたところがありました。でも、蔚山は中盤から飛び出していってゴールを決めるのが重要で、シュートをすごく意識していました。ボックス内に入っていく際のスピードが速く、運動量は日本にいた時よりもはるかに多かったです」

――大きな手応えがあったのですね。

「韓国に来て、僕を知らない仲間に自分を理解してもらい、試合に出て、ファン、サポーターの心をつかまないといけないという思いでプレーし、徐々に応援されるようになったのは、本当にうれしかったです。

 試合を重ねていくなかで、『認められた』みたいな瞬間があるんですよ。それを勝ち取れたのはすごく達成感が大きかったです。結果を残して、優勝もできた。僕のプロのキャリアのなかでも最高のシーズンでした」

 蔚山で最高のシーズンを送った天野は、翌年、全北現代に移籍する。

――蔚山で最高のシーズンを送ったら、また同じところで「さらに」という思いも出てくると思うのですが、そうは思わなかったのですか?

「僕は、普通じゃないんですよ(苦笑)。サッカーに対してドMな性格が出てしまった」

――全北のサッカーは、ご自身にフィットするスタイルだったのですか?

「いや、結構ボールを蹴るサッカーだったので、自分が活躍できるスタイルではないなと思ったんです。でも、代表選手が多かったですし、(クラブ側が)僕のことが必要だと熱く語ってくれたので、その挑戦に自分がワクワクしたのもあります。スタイルは蔚山と違うけど、そのなかで自分がどれだけやれるのか、そこを楽しみにしていました」

3 / 4

厳選ピックアップ

キーワード

このページのトップに戻る