横浜FMの天野純が味わった歓喜と辛酸 韓国での「最高のシーズン」と過酷な日々の落差 (4ページ目)

  • 佐藤 俊●取材・構成 text by Sato Shun

――実際に行かれて、何が一番厳しかったですか。

「生活ですね。ベルギーも、蔚山も、住んでいた地域は都会だったので、日本人も多くて家族も快適に暮らせていたんです。でも、全北は地方で英語は通じないし、日本人もいない。かつ、地方の人はせっかちで閉鎖的なところもあり、妻はいろいろ苦労したと思います。海外組は『環境で苦しむ』ってよく言われますけど、それを本当に感じました(苦笑)」

 韓国の地方にあっては、日本人がいれば好奇の視線にさらされ、昔ながらの人も多いとなれば、毛嫌いされることも多い。言葉が通じないので、買い物など日常生活も大変だ。だが、そういう厳しい生活を送ったことで、「これ以上、大変なことはないよね」と家族で話をしていたという。

――全北現代では、公式戦26試合出場で2得点でした。

「生活もサッカーもキツかったですね。ベルギーの時と同じぐらい苦しみました。監督が2回変わって、ふたり目が完全に直線的なサッカーだったんです。僕のプレースタイルがフィットしなくなって、そこからスタメンを外れることが増えました。

 簡単に言うと、"合わなかった"で終わってしまうんですけど、いい選手はそれでも起用される。どんな監督にも起用されるのは、やっぱりいい選手の条件ですし、自分もそうありたいと思いましたね」

――2年間で韓国での挑戦を終えるわけですが、自分の成長につながる何かを得られたのでしょうか。

「蔚山での時間は、もともと点が取れるタイプの選手じゃないのに、デビュー2戦目で初ゴールを取ってから覚醒したというか、シーズンを通して結果を残し、優勝に貢献できたという実感がありました。

 僕はずっと『うまくなりたい』『強くなりたい』と思っていて、それを求めて普通の人が取らない選択をして韓国に行ったんですけど、ひとつ正解を得られたので本当によかったですし、自信になりました。何度も言いますが、蔚山での1年間は、自分のプロサッカー人生で最高のシーズンでした」

(つづく)後編◆天野純「凄みのあるプレーを見せて、チームを優勝に導き、MVPを獲る」>>

天野純(あまの・じゅん)
1991年7月19日生まれ。神奈川県出身。横浜F・マリノス所属のMF。2014年、順天堂大から横浜F・マリノス入り。2019年夏、ベルギーのロケレンに期限付き移籍するも、経営悪化で同クラブが破産。2020年には横浜FMに復帰した。2022年、韓国の蔚山現代へ期限付き移籍。チームのリーグ優勝に貢献した。翌年は同じく韓国の全北現代でプレー。そして今季、横浜FMに戻ってきた。

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