遠藤保仁が追求し続けた「サッカーを楽しむ」――その言葉に込められた真実 (3ページ目)

  • 高村美砂●文 text by Takamura Misa

 だから、僕自身は、フェアプレー賞ではなく、試合を終えて、今日はフェアプレーでしたね、で十分。ただ、"得点王"の称号があって"アシスト王"がないのは長年の謎だから、それは設定してよ、とは真面目に思う。それがあったら、僕もほしかったかも。いや......、別に個人賞のためにサッカーをしているわけじゃないから、いらないか? いや、もらえるならもらったほうがいいのか?(笑)」

 実際、もしも彼の現役時代に"アシスト王"が設けられていたら――。彼のプレースタイルからして、おそらくはそれさえも手中にしたのではないかと想像するが、彼自身はきっと獲ったら獲ったで、こう口にしたことだろう。アジア最優秀選手賞を受賞したあの日のように。

「個人賞は......う~ん、ありがたいことだし、そこに関わってくれたいろんな人の姿を思い出せば、なおさら特別にも思えてくるけど、基本的には興味がない。

 理由? 子どもじみて聞こえるかもしれないけど、単純に僕はみんなで喜ぶのが好きだから(笑)。子どもの頃からひとりで走る100m走で記録を出すより、リレーで1位になるほうがうれしかったですしね。

 それに、記録を出したところで自分が何かを達成したという証明にはならないし、記録なんていつかは必ず誰かに抜かれるから。それよりも、みんなと一緒に何かを喜べるほうがうれしいし、楽しいし、たとえばだけど、記録に残ることより、僕と一緒にプレーして『楽しかったな』とか、タイトルを獲れて『最高だったな』とか、仲間や応援してくれる人たちの思い出に残るほうがいいかな」

 そして、その思い描いたとおりに、遠藤は最後の瞬間まで仲間とともにプレーすることを楽しみ、記憶に刻まれた選手としてピッチをあとにした。彼の引退発表直後から、所属チームや日本代表で時間をともにした、かつての仲間や多くのサッカーファンが、そのキャリアやプレー、思い出をSNS等で明かしているが、そのどれもが温かく、いろんな"想い"と楽しい記憶にあふれているのが、何よりの証だろう。

 そんな最高の賛辞を引っ提げて、遠藤は新たなキャリアに足を踏み出す。その最初の一歩は、前編でも記したとおり、古巣・ガンバでのコーチ業だ。

 かつて「ライセンスが必要ないなら、すぐにでもプロチームの監督になりたい」と話していた彼は、このシーズンオフに初めて、指導者C級ライセンスの講習会にも参加したという。

「いつか行こう、行こうと思いつつ、あと回しにしてきたけど、去年はシーズン前から改めて『今年こそは行きたいな』と思っていたなかで、シーズンが早く終わったこともあって、時間を見つけられた。

 先のことはわからないけど、取れるものは取っておいて損はないかな、と。指導者の立場から見るサッカーには選手時代との違いも感じたし、また違う角度からサッカーを見ることができて、いい勉強になりました」

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