遠藤保仁らしい幕引き――「引退するまでは伏せていたい」知られざる戦い「ケガも友だち」
遠藤保仁――知られざる"戦い"の軌跡(前編)
「ピッチの上で勝つための仕事をするのが、僕のすべて」(遠藤保仁)。photo by J.LEAGUE/J.LEAGUE via Getty Imagesこの記事に関連する写真を見る 遠藤保仁は、いかにも彼らしく、ふわりとスパイクを脱いだ。
Jリーグひと筋で戦い抜いたプロサッカー選手としてのキャリアは、歩んできた人生の約半分にあたる26年。そのなかで、J1リーグ出場は歴代最多の672試合。日本代表としても、同じく歴代最多の152試合出場を数える。さらに、J2リーグやカップ戦、AFCチャンピオンズリーグを含めると、1100試合を超える公式戦に出場するなど、日本サッカー史に残る数々の偉業を達成してきた彼が、だ。
本人の意向により、記者会見や引退試合は行なわないという。
「オフはオフなので、オフをとことん満喫したい」
現役時代のオフシーズンにも繰り返し聞いたその言葉を、引退という節目にもサラリと口にし、新たなキャリア、古巣・ガンバ大阪でのコーチ業に向かう。
自身のYouTube上で口にした、ともに戦った仲間やサポーターへの最後の挨拶は、まったく感傷に浸る様子もなく、笑顔で「バイバイ!」。現役時代から個人の記録にまったくと言っていいほど興味を示さなかった彼らしい幕引きだ。
結果的に選手としてプレーした最後の舞台は12月16日、慣れ親しんだパナソニックスタジアム吹田での橋本英郎の引退試合と、12月17日の中村俊輔の引退試合のふたつ。その際は、かつての盟友たちとの再会を懐かしみ、楽しそうにボールを蹴る姿が見受けられたが、彼にとってはそうした仲間との時間こそが、最高の"ラスト"だったのかもしれない。
「懐かしい選手たちにも会えて、いろんな会話もできたし、一緒にプレーもできて楽しかった。いい思い出になりました。みんな老けたな、とは思いましたけど(笑)」
彼がキャリアのなかで口にしてきた言葉の数々を思い出しても、そんな思いが強くなる。遠藤が戦い抜いた26年間を振り返る時、決まって蘇るのは、そのプレーはもちろん、彼が愚直に自身やサッカーと向き合ってきた姿だ。
1 / 3