川崎フロンターレに8年 韓国人GKチョン・ソンリョンが日本の生活で驚き「とにかく速くという考えの母国では見たことがない風景でした」
韓国人Jリーガーインタビュー
チョン・ソンリョン(川崎フロンターレ) 前編
Jリーグが始まって30年。これまで多くの韓国人選手がプレーしてきた。彼らはどのようなきっかけで来日し、日本のサッカー、日本での生活をどう感じているのか。今回は川崎フロンターレに来て8年になる、GKチョン・ソンリョンに話を聞いた。
【日本でのプレーはまったくイメージしていなかった】
「シンガード、なんかかっこいい」
これが幼き日のチョン・ソンリョンの日本の印象だった。先輩たちが日本に遠征して、現地で買って帰ってきた"すねあて"。それが韓国で見たことがないような形だったのだ。ソックスの下でズレないようにマジックテープで留められるタイプだった。1985年生まれ。中学校時代の記憶だから90年代後半のものだ。
川崎フロンターレで8年プレーしているGKチョン・ソンリョン photo by Kishiku Toraoこの記事に関連する写真を見る 確かに韓国には当時「日本のサッカー用品のなかでも、小物は特にスゴい」という評判はあった。シンガード、キャプテンマークといった実用性のあるもののほか、ステッカーやグラスといったグッズ系も韓国にはあまり存在せず、ソウルから東京に来ては買い漁る業者もいたくらいだ。
チョン・ソンリョンは言う。
「今みたいに簡単に日本と韓国で往来ができる時代じゃなかったでしょう。ただ日本と姉妹都市提携している韓国の都市が多かったから、先輩の多くがそのつながりで日本に遠征していた印象はあります。自分は行ったことがなかったから、シンガードを見てあれこれと想像するしかなかった。
テレビで代表チームの韓日戦を目にすることもありましたよ。日本のサッカーを見て『ボール扱いがうまいな』と思った記憶があります。ただ自分が日本に行ってプレーするというのはまったくイメージしてませんでしたね」
川崎フロンターレで2016年シーズンからプレーするチョン・ソンリョン。幼少期はソウル郊外の城南で育ち、高校は済州島の新進チーム西帰浦高でプレーした。高校卒業後、Kリーグ1の浦項スティーラースに入団。3シーズンは第3キーパーに甘んじるなど苦しい時代を経て、レギュラーポジションを獲得。
2008年には当時強豪だった城南(当時城南一和)に移籍すると、その存在が大きく注目されるようになり、2010年には南アW杯とクラブW杯に出場を果たした。
2011年に国内屈指の人気クラブ水原三星ブルーウィングスに移籍すると、より大きな名声を得ることになる。所属クラブでは2014年、2015年のリーグ準優勝が最高位だったが、代表チームでは2012年ロンドン五輪銅メダル獲得に正GKとして貢献。2014年ブラジルW杯にも出場を果たした。
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著者プロフィール
吉崎エイジーニョ (よしざき・えいじーにょ)
ライター。大阪外国語大学(現阪大外国語学部)朝鮮語科卒。サッカー専門誌で13年間韓国サッカーニュースコラムを連載。その他、韓国語にて韓国媒体での連載歴も。2005年には雑誌連載の体当たり取材によりドイツ10部リーグに1シーズン在籍。13試合出場1ゴールを記録した。著書に当時の経験を「儒教・仏教文化圏とキリスト教文化圏のサッカー観の違い」という切り口で記した「メッシと滅私」(集英社新書)など。北九州市出身。本名は吉崎英治。