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審判目線のJリーグトップ10プレーヤー「レフェリー泣かせ」の選手を村上伸次が明かす (4ページ目)

  • 篠 幸彦●取材・文 text by Shino Yukihiko
  • photo by Getty Images

【特等席からFKを見させてもらった】

1位 中村俊輔(元横浜F・マリノス、横浜FCほか)

 彼はやっぱりフリーキック(FK)がすごかったですね。とくにあのカーブの曲がり具合。もうほかの選手とは全然違いました。彼のFKは本当に楽しみでした。

 ゴールに近い位置からのFKの場合、壁の選手が5、6枚ならばハンドを見るためにキッカーの真後ろにポジションを取るんですね。それはもう特等席ですよ。ボールの軌道がゴールの隅へ点々と描かれているのが見えるようで、蹴った瞬間につい「入った」と言ってしまうこともありましたね(笑)。

 あと印象的だったのが、彼は前半と後半でスパイクを変えるんですよね。同じ型のスパイクなんだけど、色違いを履いていて新しいスパイクを慣らしていたみたいですね。それもすごく印象に残っています。

<特別賞> 
槙野智章(元サンフレッチェ広島、浦和レッズほか)

 彼は特別賞で選ばないわけにはいかないです(笑)。私がプロレフェリーとして最後の試合が名古屋対浦和で、試合後に両チームの選手たちが花道を作ってくれまして。そこで彼がアンダーシャツにメッセージを書いて待っていてくれて「やられたな」と思いましたね(笑)。

 どうやってやり返そうかと考えて、アドリブでイエローカードを出しました。その時にほかの審判員とつながっているインカムを通して「もう試合後だから公式記録には載せないでください」とお願いしておきました(笑)。

 広島時代などは結構ケンカ腰で、やんちゃ坊主という感じでした(笑)。最初は「おい! レフェリー!」だったのが、「レフェリー!」になって、そこから私の名前を呼ぶようになって。そうやって見ていくと人間的に成長しているんだなと思いました。

 それだけではなくて、ファールを取ると「なんで?」と聞いて、私が説明すると納得してくれて、聞く耳を持ってくれるようになったのはすごいなと思いましたね。

 ちなみに彼と私は誕生日が一緒です。

この記事に関連する写真を見る村上伸次 
むらかみ・のぶつぐ/1969年5月11日生まれ。東京都目黒区出身。帝京高校-立正大学と進み、JFLの西濃運輸でプレーしたのち、28歳からレフェリーの道へ。2004年からJリーグの主審として活動。2008年からスペシャルレフェリー(現プロフェッショナルレフェリー/PR)となった。2021年10月のヴィッセル神戸対アビスパ福岡戦で、Jリーグ通算500試合出場を達成。この年を最後に㏚を引退し、現在は後進の指導にあたっている。

著者プロフィール

  • 篠 幸彦

    篠 幸彦 (しの・ゆきひこ)

    1984年、東京都生まれ。編集プロダクションを経て、実用系出版社に勤務。技術論や対談集、サッカービジネスといった多彩なスポーツ系の書籍編集を担当。2011年よりフリーランスとなり、サッカー専門誌、WEB媒体への寄稿や多数の単行本の構成を担当。著書には『長友佑都の折れないこころ』(ぱる出版)、『100問の"実戦ドリル"でサッカーiQが高まる』『高校サッカーは頭脳が9割』『弱小校のチカラを引き出す』(東邦出版)がある。

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