植田直通がアントラーズ復帰を決めた理由「今の選手やスタッフたちは、苦しい思いをしながら戦っていると想像できた」 (4ページ目)
「ベルギーでも、そう思わせてくれる選手は何人もいましたが、フランスには本当にゴロゴロと、そういう選手がいました。特に(当時リヨンにいた)オランダ代表のメンフィス・デパイと対峙した時には、かなりのレベルの違いを感じました。それはもう、自分の守備力に対して、あらためて考え直さなければいけないほどの」
── おそらくヨーロッパでは、日本で過ごしていた時よりも、自分自身に向き合う時間が多かったのではないかと思います。自分が追い求めていくプレーについて、どのような答えを導き出したのでしょうか?
「それでいうと、今もその答えを探している途中にあると思っています。ヨーロッパでは、毎日が競争でした。練習でも試合でも、自分がどれだけ上(のチーム)に行けるかという勝負の連続でした。
同じポジションの選手に対して、自分が練習や試合でどれだけ違いを見せることができるか。自分の特徴を生かして、どれだけチームに貢献できるかで、スタメンになるのか、控えに回るのかが決まっていく。常日頃から個々の競争という意識がより強くあるから、ヨーロッパの選手たちはたくましく、そして成長できるのかなと......」
── なるほど。
「だから、できないこともできるようにならなければ、生き残っていけないと思ったし、自分の強みである守備だけでなく、攻撃でもチームにプラスになる部分を築いていかなければいけないと思っていました。
それでビルドアップやロングフィードといった練習もかなりやりましたが、それでも自分はCBなので、まずは失点しないこと、目の前の相手にやられないことに重きを置いていました」
── フランスでは2部への降格も経験しているように、ヨーロッパで在籍したクラブはいずれも残留争いを強いられていました。優勝を目標に掲げて戦う鹿島との違いを感じたところはありましたか?
「最初はむしろ、そこに衝撃を受けました。(上位に)引き分けたことにチームメイトが喜んでいる姿は、鹿島では考えられないことでした。鹿島では引き分けは、負けと同じ。
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