守田英正×脇坂泰斗 同期のふたりが思い出すフランス戦「舌打ちされた」「覚えてない(笑)」 (2ページ目)

  • 原田大輔●取材・文 text by Harada Daisuke
  • 佐野美樹●撮影 photo by Sano Miki

この記事に関連する写真を見る脇坂 そんな、くだらないイタズラをお互いにやり合っていましたね(笑)。誕生日がヒデは5月、僕が6月と近いんですよ。大学選抜では誕生日順で部屋割りが決まっていたので、ユニバーシアード(競技大会)が終わるまで、ほぼ同部屋だったことが意気投合するきっかけでした。

── お互いに、プレーヤーとしてはどのような印象を持っていましたか?

脇坂 当時は、すごくユーティリティな選手というイメージを持っていました。最初はSBで試合に出ていて、CBの選手がケガをしたら、途中からヒデがCBに入ったんです。その時、Jリーグのチームと練習試合をさせてもらったのですが、本職じゃないのにプロの選手を止めまくっていた。その光景に思わず「えっ?」って驚きました。

 そのあと、デンソーカップチャレンジサッカーで、僕は全日本大学選抜、ヒデは関東選抜で対戦する機会がありました。その時、ヒデはボランチで出場し、中盤で無双していた。試合も僕らは(1-2で)負けて。本職であるボランチのプレーを見て、さらに驚きました。

守田 泰斗は当時も今も、いい意味でイメージは変わらないかな。大学生の時から、人と違うところを見ている選手でした。人と人の間でボールを受けようとするポジショニングひとつとっても、大学生の時から普通にやっていた。だから当時から、泰斗はもう、泰斗だった(笑)。ほかの人とはちょっとタイプが違う、そういう存在でしたね。

── 当時からプレーに雰囲気があるというか、プレースタイルが確立されていた?

守田 だから、大学選抜での起用のされ方も、誰かの代わりとかではなく、チームとしても泰斗の生かし方や泰斗がいる時の戦い方というのが、どこか自然にできあがっていきました。そこに明確な戦術があったわけではないですけど、泰斗がピッチにいるときは、泰斗を生かすサッカーになっていくというか。そういったことを、自然とみんなが意識するような、唯一無二の存在でした。

2 / 5

厳選ピックアップ

キーワード

このページのトップに戻る