Jリーグ30周年を記念してクイズを出題 「30年でハットトリックを最も多く決めた選手は誰か」ほか10問 (3ページ目)

  • 後藤健生●文 text by Goto Takeo
  • photo by Getty Images

A6:万博記念競技場(ガンバ大阪対浦和レッズ)

 その他、有名な"停電"事件は2005年のJ1・J2入れ替え戦、ヴァンフォーレ甲府対柏レイソル戦の後半アディショナルタイムに起こったまさかの停電でした。甲府のホーム、小瀬スポーツ公園陸上競技場での出来事です。ちなみに、この試合は2-1で甲府が勝利し、さらにアウェーでの第2戦ではバレーがダブルハットトリックを達成して、大勝した甲府は初めての昇格を決定しました。

A7:遠藤保仁

 中村はJ1リーグだけで直接FKから24ゴールを決めています。セルティックなど海外クラブでプレーした年も多いだけに大変な記録です。遠藤保仁はFKよりもむしろPKで有名ですが、直接FKからも17ゴールを決めています。遠藤の代名詞「コロコロPK」はGKの逆をつくからこそ決まるプレーですが、遠藤はFKでもGKと駆け引きをして、相手の重心の移動を見逃さずに逆を取って決めます。2010年南アフリカW杯のデンマーク戦のFKでは、本田圭佑が決めた1点目のイメージを利用して決めました

A8:ジーコ

 ジーコは1989年にいったんは引退。ブラジル連邦政府のスポーツ担当大臣を務めていたのですが、当時Jリーグ加盟を目指していた住友金属からの熱心なオファーを受けて現役に復帰。住金の選手としてJSL2部で現役生活を再開しました。その後、ジーコ獲得が効を奏して住金はJリーグに加盟して「鹿島アントラーズ」となりました。1993年5月16日の開幕節での名古屋戦でJリーグ初のハットトリックを決めた時、ジーコは41歳3カ月でした。

A9:森本貴幸

 東京ヴェルディジュニアユースに所属していた森本は当時のオズワルド・アルディレス監督に抜擢され、中学卒業直前の3月13日のジュビロ磐田戦に交代出場してJリーグデビュー。5月5日の第8節、市原戦では途中出場から決勝点を決め、これが15歳11カ月28日というJ1史上最年少得点記録となって、今でも記録が残っています。当時FC東京の監督だった原博実氏は森本を「怪物だ」と評しました。

A10:森島司

「Jリーグ初ゴール」とか「通算1万ゴール」といったいわゆる「記念ゴール」を決めるには絶対に幸運が必要。実力だけでは記録できるものではありません。したがって、そんな記念ゴールを2回連続して決めた森島はまさに"持ってる男"なのでしょう。ちなみに、興梠慎三(浦和)は1万8000ゴールと2万1500ゴールを決めています。J1リーグで「記念ゴール」を2度決めたのはこの2人だけ。

プロフィール

  • 後藤健生

    後藤健生 (ごとう・たけお)

    1952年、東京都生まれ。慶應義塾大学大学院博士課程修了(国際政治)。1964年の東京五輪以来、サッカー観戦を続け、1974年西ドイツW杯以来ワールドカップはすべて現地観戦。カタール大会では29試合を観戦した。2022年12月に生涯観戦試合数は7000試合を超えた。主な著書に『日本サッカー史――日本代表の90年』(2007年、双葉社)、『国立競技場の100年――明治神宮外苑から見る日本の近代スポーツ』(2013年、ミネルヴァ書房)、『森保ジャパン 世界で勝つための条件―日本代表監督論』(2019年、NHK出版新書)など。

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