Jリーグ30年で忘れられない横浜F・マリノスの時代を超えてつながる敗戦 優勝目前の最終節で「魔物を見た」
Jリーグ30周年 忘れられない名勝負
Jリーグは今年30周年を迎え、5月15日の「Jリーグの日」に向け、さまざまなイベントが用意されている。スポルティーバでは、リーグの歴史を追ってきたライター陣に、30年のなかで忘れられない名勝負を挙げてもらった。
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2013年最終節、勝てば優勝の横浜FMはアウェーで川崎と対戦この記事に関連する写真を見る
【Jリーグで優勝するチームの典型スタイル】
Jリーグ30周年、名勝負は数多あるだろう。スター選手が輝かしいタイトルを手にし、スタジアムが一斉に盛り上がる。それはひとつの絶景だ。
しかし個人的には、果たせなかった夢、届かなかった栄光、さまざまな葛藤が滲んだ試合のほうが記憶に残っている。これは取材者としての自分の性だろうか。サッカーの光と影を映すような光景に惹かれるのだ。
たとえば2010年、横浜F・マリノスを退団することになった松田直樹のJ1最終節は、ゲーム内容と関係なく忘れられない。
「マジでサッカー好きなんすよ。マジで、もっとサッカーやりたい」
試合後、ゴール裏に向かって松田がそう叫んでいた姿は「永遠」である。同時期に密着取材をし、契約満了を伝えられた事情も知っていただけに、やるせなさもあった。しかし、たとえどれだけサッカーが不条理で理不尽であっても、離れられないほど魅力的なんだな、と思い知らされた。
その真理を濃縮したような勝負が、2013年J1最終節の川崎フロンターレ対横浜F・マリノスだ。
そのシーズン、筆者は横浜FMの試合を継続的に追っていた。主力選手だった小林祐三や齋藤学と親交が深かったのはあるだろう。シーズン中、食事に出かけてオフレコの話も重ねることで内情を深くまで知り、追っている選手の物語を描くことに、当時は懸けていたところがあった。
当時の横浜FMは、大雑把に言えば「中村俊輔のチーム」だったと言える。それを支えていたのが、中澤佑二、栗原勇蔵、小林、ドゥトラなど経験豊富なディフェンス陣であり、中村のパスをものにできる齋藤やマルキーニョスなど有力アタッカーが揃い、富澤清太郎、中町公祐、兵藤慎剛も味を出していた。監督の戦術色は薄かったが、選手主体のチーム構造というのは、当時はJリーグで優勝するチームのひとつの典型だった。
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著者プロフィール
小宮良之 (こみやよしゆき)
スポーツライター。1972年生まれ、横浜出身。大学卒業後にバルセロナに渡り、スポーツライターに。語学力を駆使して五輪、W杯を現地取材後、06年に帰国。著書は20冊以上で『導かれし者』(角川文庫)、『アンチ・ドロップアウト』(集英社)など。『ラストシュート 絆を忘れない』(角川文庫)で小説家デビューし、2020年12月には『氷上のフェニックス』(角川文庫)を刊行。パリ五輪ではバレーボールを中心に取材。