森島寛晃は相棒・西澤明訓と終始無言で移動。優勝チームからの「ありがとう」の言葉に何も返せなかった (2ページ目)

  • 佐藤俊●取材・文 text by Sato Shun
  • photo by Getty Images

「3連敗からスタートして、チームの雰囲気は徐々によくなっていきました。ただ、当時のセレッソはシーズンによって浮き沈みが激しかった。確実に勝てる相手もいなかったので、毎試合優勝候補だろうが、どこが相手だろうがしっかりと戦わないとすぐに下位に落ちてしまう。そういう緊張感のなかで戦っていました」

 当時の優勝候補は、横浜FMであり、鹿島アントラーズだった。だが、森島が一番意識していたのは大阪ダービーであり、ガンバ大阪だった。18節の大阪ダービーは1-4で敗れ、この後もG大阪は森島の影のように最終節までつきまとうことになる。

 セレッソは、22節の神戸戦に勝ってからギアが一段上がった。28節のサンフレッチェ広島戦まで7連勝を飾り、3位まで順位を押し上げた。

「正直、7連勝は覚えていないんですけど(笑)、神戸に勝って、チームの雰囲気がすごくよかったのは覚えています。そこから連勝することで自分たちのなかに勝てるというサイクルが生まれて勢いがついたんですよ」

 セレッソは、3-4-2-1のシステムを使用していた。そのシステムが機能したのは、要所に配置された外国人選手の活躍が大きかった。センターバックにはブルーノ、ボランチはファビーニョ、左アウトサイドにはゼ・カルロスが入り、攻守に安定感が増した。

森島寛晃は西澤明訓とコンビを組んでともに多くのゴールを決めた森島寛晃は西澤明訓とコンビを組んでともに多くのゴールを決めたこの記事に関連する写真を見る「ブルーノは、最終ラインでリーダーシップを取っていましたし、ファビーニョは攻守に非常に効いていた。ゼ・カルロスは非常に攻撃的で試合を重ねるごとに連携がよくなっていったし、右の久藤(清一)はすごくボールを持てたんで、古橋(達弥)やアキ(西澤明訓)と絡んですごくいい攻撃ができていた。勝っていくごとに全体のバランスがよくなり、プレーしていても負ける気がしなかったです」

 セレッソは、7連勝を達成したあとも負けなかった。優勝争いでトップを走るG大阪、2位の鹿島らが勝ちきれずに苦しむなか、セレッソは粘り強く戦い、31節、川崎フロンターレ戦に勝ってついに2位に上がった。この勢いからすると「イケる」と思いがちだが、森島は西澤や古橋らと「いけるんじゃないか」という話は一切しなかった。

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