森島寛晃は相棒・西澤明訓と終始無言で移動。優勝チームからの「ありがとう」の言葉に何も返せなかった (3ページ目)

  • 佐藤俊●取材・文 text by Sato Shun
  • photo by Getty Images

「2000年のことがあったんでね。あの時、これ、いけるんちゃうかって思ってプレーしていたら最後にひどい結果になった。2位になっても、最後の試合が終わるまではそんな気持ちを持たないようにしていましたし、チームとして気の緩みもなかったと思います」

 2000年のこと、とは、セレッソサポーターに語り継がれている「長居の悲劇」だ。このシーズンの第1ステージ、セレッソは森島を軸に快進撃を続け、最終節前の横浜FM戦に勝って逆王手をかけた。最終節の相手である川崎Fは直近7試合白星がなく、15位と下位に沈んでいた。セレッソと川崎Fの勢いや順位を考えれば、それほど難しい試合にはならないだろうと誰もが思っていた。

「マリノスに勝って、最終戦の川崎戦までの1週間は、異様な雰囲気でした。練習にはそれまで見たことがないぐらい大勢のメディアが来て、サポーターが盛り上げてくれて......。最後の相手は下位の川崎だし、戦う前からなんか優勝したような感じになって、いけるやろって気の緩みみたいなのがあった。それは、自分だけじゃなく、アキも感じていたようで試合後に、『なんかそういう雰囲気あったな』という話をしたんですよ。でも、試合は入場の時からみんなガチガチに緊張して、すごいプレッシャーを感じていました」

 川崎F戦、西澤のゴールで1度は追いついたが、延長Vゴールで優勝を逃した。雨のなか、キャプテンだった森島はピッチに崩れ落ちて涙にくれた。

「この経験は、自分にとってすごく大きかったです。一番大きな学びは、勝負に絶対はないということでした。相手が下位のチームやし、自分たちはそこまで4連勝して勢いがある。これなら勝てるやろと思いがちですけど、しっかり準備して挑まないといけないことと、どんな相手もそんなに簡単に勝てるもんじゃないというのを痛感しました」

 第1ステージ優勝を逸した次の日は、日本代表の欧州遠征の集合日。成田空港に西澤と向かった車中、ふたりは終始無言だった。集合場所のホテルに行くと前日、優勝した横浜FMの選手たちから「ありがとう」と声をかけられた。

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