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メッシ獲得、ネイマール慰留...「鹿島の貴公子」レオナルドはフロントでも才能を発揮する (2ページ目)

  • リカルド・セティオン●文 text by Ricardo Setyon
  • 利根川晶子●翻訳 translation by Tonegawa Akiko

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【現役引退後にミランからの3つの贈り物】

 まずはスカウトとしてミランに入ると、その2週間後には設立したばかり慈善団体「フォンダツィオーネ・ミラン(ミラン基金)」の責任者となった。そして2カ月後の8月には南米全般の移籍市場を総括する座についた。CEOアドリアーノ・ガッリアーニのそばで、彼はチーム経営とは何かをじっくりと学んでいった。

 レオナルドはすぐにカカを、続いてアレシャンドレ・パト、そしてチアゴ・シウバをミランにもたらした。カカは多くのチームがほしがっていたが、ミランが勝ち取ることができたのはレオナルドの存在が大きかった。

 一方、ミランはレオナルドのためにイタリアのパスポートを獲得した。レオナルドは身内にイタリア系はいないし、イタリアで5年以上プレーしていないが、それは問題にはならなかった。なにせ時の首相は、ミランの会長でもあるベルルスコーニだったのだから。また、レオナルドはイタリアサッカー協会の監督コースにも通わせてもらい、ヨーロッパのチームを率いる資格も得た。

 ガッリアーニからの教えとイタリア国籍、そして監督の資格は、ミランがレオナルドに贈ったプライスレスのプレゼントだった。この贈り物のおかげで、その後の彼は大きく羽ばたくことができた。

 2006年にカルチョポリ(ユベントスをはじめとするイタリアのチームが審判を買収、脅迫するなどしていたとされるスキャンダル)が起こった際には、それに巻き込まれることなく、逆に5カ月の停職をくらったガッリアーニに替わって、チームの経営を任された。

 レオナルドは意気消沈するチームスタッフを導き、3位に降格されたためチャンピオンズリーグ(CL)予選を早くから戦わねばならないチームに「たとえバカンスが短くなっても、みんなで戦い、すべてを取り戻そう」と言って奮起させた。そのシーズンのCLでミランは優勝を飾った。

 レオナルドはミラノのライフスタイルが非常に好きだった。ミラノのセレブが住むブレラ地区に住み、ミラノファッションに身を包む。ジャケットにシャツを着こなし、ふだんネクタイはしないが、必要な時にはすぐつけられるようポケットにはいつも忍ばせておくこともミラノで学んだ。

 マーケティングを半年、経営を半年学び、2009年4月の時点での彼の名刺の役職名は会長補佐。彼はこの名を好んで使っていた。

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