「僕の人生はアントラーズのおかげで変わった」。ジーコが振り返る鹿島の30年と思い描く未来 (3ページ目)
――ジーコさんご自身にとって、日本での日々はどういうものでしょうか?
「日本という国、日本の人々から学ぶことは本当にたくさんありました。そのひとつは、安全ということへの意識です。もうひとつが組織力や計画性でしょう。しっかりと計画を立てて、物事を行なうのです。そういう日本で学んだものを僕は1995年にCFZというクラブを作るときに役立てました。選手だけでなく、子どもやお年寄り、すべての人間にとっての安全を考えて設計しました。計画をしっかり練り上げて動いたことも日本で身につけたものがあったからでしょう。CFZももうすぐ30周年です。ブラジルでは経営破綻をするクラブも少なくありません。そういうなかで、ゼロから作ったクラブを運営できているのは、日本の知恵や経験が生かされたからだと感じています」
――鹿島アントラーズというクラブはどんな存在ですか?
「アントラーズというクラブは、サッカー界の僕の心の半分だなと考えています。僕はフラメンゴでの経験をアントラーズに植えつけたわけですから。僕にとって、このアントラーズは非常に大事な場所であって、第二の祖国ではないかなと実感しています。僕の人生はアントラーズのおかげで変わりましたから。
今はアントラーズで、テクニカルディレクターという仕事に就いていますが、そういう立場がないときも、アントラーズに関する要望というか、求められるものには応えたいと努力をしてきました。今後も契約の有無にかかわらず、その努力をし続けるだろうと思います。
アントラーズが与えてくれたものに対して、僕は恩返しできているのかはわからないけれど、恩返しのためにはまだまだやらなくちゃいけないことがあると考えています」
――ブラジルのご家族と離れての仕事になりますね。
「確かに子どもたちの成長を間近で見守ることはできませんし、8人いる孫を抱きしめたり、学校へいっしょに行ったり、サッカーをしたりというおじいちゃんとして、やりたいことは数多くあります。でも、まあ、幸いインターネットの普及もあって、顔も見れるし、雰囲気を感じることはできますから。もちろん、恋しさは変わらずありますよ。
でも、今僕に課せられた使命というのは、今後の鹿島アントラーズの30年をすばらしいものにするための土台作りだと思っています。そのための努力は惜しまない。アントラーズだから、家族への愛情という自分の気持ちを犠牲にしてでも、やれるんだと思っています」
『頂はいつも遠くに 鹿島アントラーズの30年』
寺野典子 著
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