松井大輔、なぜフットサル選手に? 「最後は観客がいる中で引退させてくれ」
松井大輔、40歳からのフットサル挑戦@前編
昨年12月、横浜FCからベトナムのサイゴンFCへ移籍した松井大輔。それから約8カ月後、ベトナム生活を終えて帰国した松井は、10月8日から再開するフットサル「Fリーグ」所属のYSCC横浜フットサルに入団することを発表した。
不惑を迎えた現在、再び新しい道にチャレンジすることを決めた理由は何か? そして、フットサル転向に踏み切ったきっかけとは何だったのか?
サイゴンFCで起こった想定外の出来事なども振り返りながら、松井に現在の心境を聞いた。
プロのフットサル選手に転向した松井大輔この記事に関連する写真を見る---- 40歳にしてフットサルに挑戦することになったわけですが、その前にサイゴンFCでの出来事を聞かせてください。今年3月に霜田正浩シニアダイレクターが新監督に就任しましたが、すぐに解任されました。どういう経緯があったのですか?
「霜田さんが監督になってから3連敗して、チームが自信を失ったことが大きかったと思います。ただ、わずか3試合で解任されるなんて普通ではないですよね。だから、おそらくチームが日本化していくことに対して、一部の人たちから反発があったんじゃないかと。
しかも、勝てないことでメディアから批判され、ビン会長もそれを抑えることができなかった。ベトナム人選手たちも最初は霜田さんについていこうとしましたが、そういった小さなことが重なって、チーム全体の士気が下がったという感じがしました」
---- 4月になると、今度は日本人選手が退団するという報道が日本でも流れました。
「ええ。でも僕たちは、監督からも会長からも何も言われてなくて、どこの誰からの情報なのかわからないという状況でした。でも今、振り返れば、その報道が日本でも流れたことで、僕がサイゴンFCを退団すると思ったチームからいくつかオファーをいただいたんです。その中にYSCC(横浜フットサル)の話があったので、そういう意味では、僕にとってはあの退団報道に感謝する部分もあるんです(笑)」
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