2021.07.01

江坂任が電撃移籍。サポーターをざわつかせたJリーグ衝撃の移籍10ケース

  • 浅田真樹●文 text by Asada Masaki
  • 木鋪虎雄●撮影 photo by Kishiku Torao

 さらにさかのぼれば、2010年に浦和から名古屋グランパスへと移籍した田中マルクス闘莉王も衝撃的だった。

 浦和の主軸として活躍した闘莉王は、J1やAFCチャンピオンズリーグなど数々のタイトル獲得に貢献。移籍前年の2009年もチームは無冠に終わったものの、闘莉王自身はベスト11に選ばれている。

 加えて、日本代表のセンターバックとしても替えが効かない存在であり、まさに全盛期で起こった驚きの移籍だった。

 数々のタイトルを手にしていたチームを突然去ったことで印象深いのは、奥大介である。

 絶頂期のジュビロ磐田で華麗な中盤の一角を担いながら、磐田が史上最強とも言われた2002年に横浜F・マリノスへ移籍。誰もが驚く決断だったが、そこでもJ1連覇(2003年、2004年)を果たすのだから、"優勝請負人"と言ってもいいほどの働きだった。

 クラブの象徴的存在が移籍したという意味で驚きだったのは、中村俊輔のケースだ。

 中村は2010年にヨーロッパからJリーグに復帰し、2013年には自身2度目のMVPにも選ばれた。その年、惜しくもJ1制覇を逃したものの(最終節で逆転されて2位)、サポーターにとっては「俊輔と一緒にまた優勝したい」という思いは強かったはずだ。

 ところが、それも果たせぬまま2017年に磐田へ移籍。すでに全盛期は過ぎていたとはいえ、横浜FMの顔とも言うべき中村の移籍は衝撃だった。

 今季セレッソ大阪から名古屋へ移籍した柿谷曜一朗も、同様のケースと言えるだろう。柿谷は小学生時代からC大阪のアカデミー育ちだっただけに、クラブの象徴という意味では中村以上の存在だったかもしれない。

 とはいえ、戦力という観点に立てば、柿谷がC大阪で出場機会を減らしていたのは確かである。それを考えると、同じC大阪からの移籍のなかでは、山口蛍のほうが衝撃は大きかったのではないだろうか。

 C大阪のアカデミー出身である山口は、トップチームでもキャプテンを任され、日本代表としてもワールドカップに2大会連続で出場。そんなJリーグを代表するボランチが2019年、同じ関西のライバル、ヴィッセル神戸へ移籍したのは驚きだった。