江坂任が電撃移籍。サポーターをざわつかせたJリーグ衝撃の移籍10ケース (3ページ目)
また、主力級の移籍と聞いてすぐに思い浮かぶのは、一時期相次いだサンフレッチェ広島から浦和レッズへの移籍である。
広島から浦和へは、西川周作、森脇良太、石原直樹ら、毎年のように主力の移籍が続いたが、やはりインパクトという点では、その先陣を切る形となった柏木陽介の印象が強い。
柏木の移籍は2010年だが、前年のJ1成績は広島の4位に対し、浦和は6位。広島はACL参戦も控えており、必ずしもステップアップとは言えない移籍だっただけに、当時としては意外な選択だったとも言える。
しかも、柏木は広島のアカデミー出身。やはり自前で育てた選手がチームを去ることは、サポーターにとっては一層の寂しさがあるだろう。
同じくアカデミー育ちの選手で言えば、ジェフユナイテッド千葉(当時ジェフユナイテッド市原)からガンバ大阪へ移籍した山口智(2001年)、浦和へ移籍した阿部勇樹(2007年)の例が思い浮かぶ。
山口と阿部は、ともに高校在学時にJ1最年少出場記録(当時)を作っており(山口の記録を阿部が塗り替えた)、当時の市原のサポーターにとっては、"小さい頃から見てきた選手"だったはず。そんな選手を送り出すことは、たとえそれが選手のためであったとしても、相当に寂しかったに違いない。
もちろん、衝撃の移籍は日本人選手だけではない。
現在でも、ブレイクした外国人選手が他のクラブに引き抜かれていくケースは数多いが、その先駆的存在となったのは、ビスマルクである。
草創期のJリーグで圧倒的な強さを見せつけたヴェルディ川崎(現・東京ヴェルディ)で活躍後、1997年に鹿島アントラーズへ移籍。2000年には史上初の三冠を達成するなど、常勝軍団の礎を築く功労者となっている。
プロスポーツの世界では、移籍は当たり前のこととはいえ、選手、スタッフはもちろん、サポーターにとっても気持ちがざわつく複雑なものだろう。にわかに受け入れがたい。そんな気持ちになることもあるかもしれない。
だが、見る人の感情を揺さぶるという意味においては、移籍もまた、Jリーグのエンターテインメント性を高める重要な要素のひとつなのだろう。
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