中村憲剛、震災と向き合った10年。「もう、支援ではないのかもしれない」

  • 原田大輔●取材・文 text by Harada Daisuke
  • photo by (C)KAWASAKI FRONTALE

『特集:東日本大震災から10年。アスリートたちの3.11』
第6回:中村憲剛

 東日本大震災から、間もなく10年が経とうとしている----。現役を引退し、川崎フロンターレのFRO(フロンターレ・リレーションズ・オーガナイザー)として新たな一歩を踏み出した中村憲剛は、10年という年月を振り返る。

「人によって、"もう10年"と感じる人もいれば、"まだ10年"と感じる人もいると思いますが、僕自身はどちらの思いもあります」

今年も岩手県の陸前高田に訪れた中村憲剛今年も岩手県の陸前高田に訪れた中村憲剛 中村はクラブとともに、被災地である岩手県陸前高田市への支援と交流を続けてきた。

 現役最後の2020年はコロナ禍もあり足を運べなかったが、自身の引退セレモニーに陸前高田の人たちが駆けつけてくれた経緯からも、絆の深さはうかがい知ることができる。2月には『報道ステーション』の企画で、1年半ぶりに陸前高田の町に赴いたという。

 そこで感じた、"もう"と、"まだ"だった。

「陸前高田に行くと毎回、少しずつですが、前に進んでいることを感じるんです。新しい建物ができて、徐々にですが町並みが形成されていく。どんどん町が新しい形になっていくんです。

 スポーツ施設にしても、野球場ができていたり、人工芝のサッカー場ができていたりして、流されてしまった前の町とは別の顔を持ち始めている。もともと住んでいた方たちにとっては寂しさがあると思います。そう思う一方で、町並みができ、人が集まる場所ができてくると、やっぱり賑わいも感じるんです」

 新たな建物や施設、そこに集う人々の活気に触れ、中村は「もう10年」を実感した。

 一方で、毎年のように足を運んできたから感じる「まだ10年」という思いもある。

「それでも、空いている場所がまだまだ多いんです。2011年に僕らが初めて陸前高田に足を運んだ時は、本当にあたり一面が瓦礫の山でした。奇跡的にいくつかの建物が残っていたくらいで。あの頃を思い返せば、『10年でよくぞここまで』という思いもありますけど、それでもやっぱり10年では埋まり切らない場所もあれば、思い、記憶もあるんだろうなと感じざるを得ないんです」

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