家長昭博にとって中村憲剛は「永遠に勝てないライバルだった」 (3ページ目)
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30歳を過ぎれば、周りからは完成された選手という目で見られるようになる。自分でもどこかで野心や成長に蓋をしてしまいそうになる。そんな時に出会った、向上心の塊のような存在は、今一度、自分自身を奮い立たせもすれば、呼び覚ます契機になった。
中村と一緒にプレーすると「楽だった」と家長は言う「だから......」と言って、家長はつづける。
「みんなは憲剛さんに憧れるという表現を使うじゃないですか。でも、僕は憧れるのではなく、ライバルだと思ってやってきたんです。だから、あの時、憲剛さんにそう伝えましたし、負けたくないと思ってやってきたんです」
憧れではなく、ライバルだった。家長は背中を追いかけていたのではなく、並ぼうと、そして抜こうとやってきたのだ。
心にぽっかりと穴があいていると語ってくれたのは、そうした思いからだった。
「いまだに憲剛さんが引退する実感があまり湧いてなくて。あと少しで憲剛さんが引退するのは自分でも認識しているつもりなんですけど、やっぱり感覚的には信じられない。それでも一緒にプレーできる時間は貴重だと思うので、憲剛さんにとって現役最後になる天皇杯の決勝まで辿り着いて、一緒にプレーできる時間を噛みしめたいと思っています」
そう思える存在に出会えたのもまた、川崎に移籍してよかったことなのではないかと伝えると、家長は頷いた。
「いや、本当にそのとおりなんです。ゼロからのスタートでしたけど、本当にいろいろなものを得られましたし、いろいろな自分に出会うこともできた。それは憲剛さんをはじめ、周りの人に助けてもらって、刺激をもらったからこそ、今の自分があるんですよね」
家長との共演を楽しんできた中村も一緒だったのだろう。家長は、部屋に呼ばれ、事前に引退を告げられた時に、中村からこう言われたという。
「何度もありがとうって言われたんですよね。フロンターレに来てくれてありがとう。一緒にタイトルを獲ることができて、ありがとうって。『いや、それはこっちのセリフです』って伝えたんですけどね。『アキには本当に感謝してる』って言ってくれたんですよね」
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