功績大のJリーグ助っ人バンディエラたち。商店街に名前が残る選手も (3ページ目)

  • 中山淳●取材・文 text by Nakayama Atsushi
  • photo by AFLO

 まさに、クラブ史上最も輝いていた時期にあたる。レッズサポーターの心のなかに、今もポンテが宿る最大の理由だ。

 そもそも来日前は、ドイツのレバークーゼンで欧州チャンピオンズリーグの舞台でもプレーするなど、ワールドクラスの選手として活躍していた。そんなブラジル人が来日したのは、当時レッズを率いていたドイツ人ギド・ブッフバルト監督の熱心な誘いがあったからだ。

 そのブッフバルトも、在籍期間は4年ながら、日本ではレッズひと筋を貫いた助っ人バンディエラのひとり。結局、ポンテもその後継者として離日するまでレッズにこだわり、現在もポルティモネンセ(ポルトガル)の幹部に在籍する傍ら、レッズの外国人選手の移籍をサポートし続けている。

◆「無名で来日→まさかのブレイク。Jリーグから大出世した助っ人たち」はこちら>>

 昨年J1王者のF・マリノスにも、サポーターの記憶に刻まれる助っ人バンディエラがいる。2001年から2006年、そして2012年に再来日して2シーズンにわたってF・マリノスで活躍したブラジルの鉄人ドゥトラだ。

 公式戦268試合に出場し、サイドバックながら12ゴールを記録。加入初年度にクラブ史上初のナビスコカップ(現ルヴァンカップ)優勝に貢献すると、2003年・2004年は岡田武史監督の下でリーグ連覇に貢献するなど、チームに不可欠な戦力として活躍した。

 ドゥトラがサポーターから熱烈な支持を集める理由は、2006年に一度は戦力外となってブラジルに帰国しながら、38歳になった2012年に再びF・マリノスに加入したことにある。

 当初不安視された年齢的衰えを微塵も感じさせないパフォーマンスに、多くのサポーターは魅了された。2014年7月27日に瑞穂競技場で行なわれたラストマッチの名古屋戦にも多くのファンが詰めかけ、功労者に対して最後まで惜しみない声援を送っている。

 ヴィッセル神戸のボッティ、横浜フリューゲルスのモネールも、忘れられない存在だ。

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