功績大のJリーグ助っ人バンディエラたち。商店街に名前が残る選手も (2ページ目)

  • 中山淳●取材・文 text by Nakayama Atsushi
  • photo by AFLO

 在籍8年という長さも異例だが、その間、見る者に与えたインパクトという点においても、ピクシーは歴代外国人Jリーガーのなかでも群を抜く。

 カップ戦を含めた公式戦すべてを含めると、239試合に出場して79得点をマーク。グランパスにふたつの天皇杯優勝をもたらし、1995年にはJリーグ年間MVPを受賞。ベスト11にも3度選ばれている。

 もっとも、それらの功績以上にピクシーがファンに愛された最大の理由は、観衆を魅了する華麗なテクニックと、喜怒哀楽に満ちたハイレベルなパフォーマンスにあった。存在自体が「ザ・エンタテインメント」。Jリーグ人気が下降線を辿るなか、当時はピクシーのプレーを見るためにスタジアムに足を運んだサッカーファンが日本全国に存在した。

 2001年7月、ピクシーはユーゴスラビア代表の一員としてフィリップ・トルシエ監督率いる日本代表とキリンカップで対戦し、その試合を最後に代表引退。そしてその2週間後の週末に行なわれたJ1リーグの1stステージ最終節で、プロキャリアを終える。

 すると、名古屋市中区新栄町にある東新町交差点には、グランパスサポーターの呼びかけによってピクシーの足型モニュメントが設置された。そこからつながる東新町商店街の道は、現在も「ピクシー・ストリート」として多くの人々に親しまれている。

 グランパスとピクシーの深い関係はその後も続き、2010年、ピクシーが監督としてクラブ史上初となるリーグ優勝に導いたことは記憶に新しいところだ。

 同じく、浦和レッズの「助っ人バンディエラ」として現在もクラブと深いつながりを持ち続けているのが、2005年から6シーズンにわたって攻撃の中心として活躍し、今も変わらずサポーターから愛されているロブソン・ポンテだ。

 ポンテが在籍した期間は、レッズの黄金時代。2005年の天皇杯初優勝を皮切りに、2006年には初のJリーグ年間優勝と天皇杯2連覇を果たし、2007年には大会名称変更後に日本勢として初のアジアチャンピオンズリーグ優勝を成し遂げた。

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