清水への移籍を迷った森岡隆三。
鹿島と対等での戦いに違和感があった (5ページ目)
――チームメイトもレベルの高い選手が多かった。
「当時サイドバックだった僕にとって、ジョルジニーニョは世界最高のサイドバックだと思っていました。高3のとき、ドイツ遠征でバイエルン・ミュンヘンの練習場へ行ったときに見たジョルジーニョ(1995年1月移籍加入)がチームメイトになったんですから、それは興奮しました。いっしょに過ごしたのは短い時間でしたけど。練習前に体幹を締めるトレーニングを毎日黙々とやっている姿を目にして、一流の選手のすごさを知りました。鹿島にはいろんなタイプのプロフェッショナルが揃っていたと思います。ハセさん(長谷川祥之)は、ヘディングも足元も巧いゴールゲッターでしたけど、ピッチに降り立つと柔らかい雰囲気を漂わせながらも男気の強い人でした。(大野)俊三さんは、お酒の大好きな優しい人なんだけど、スライディングをかわされたときに、頭でボールを奪い返しに行ったことがあるんです。絶対に抜かせないぞという気迫を感じました」
――プロとはなにかというのを学んだわけですね。
「プロとは? という問いの答えはいっぱいあると思うんです。鹿島には選手だけではなくて、それを突き詰めている人がたくさんいました。フロントやスタッフもそうですが、たとえば雄飛寮の寮監だった高野(勝利)さんをはじめ、クラブに関わっている人、ひとりひとりが自分の仕事に厳しさと責任を持っていると感じました。そういう個が強いからひとつになったときの結束力も強い。仲はいいけれど、馴れ合うこともない仕事人の集団という印象があります」
――選手だけではないと。
「はい。だから選手も同じですよね。俊三さん、石井(正忠)さん、奥野(僚右)さん、賀谷(英司)さん......徹底的に自分の仕事をまっとうする、プロとはこういうことだなとたくさんの人たちが教えてくれました」
――6月まで指揮を執っていたガイナーレ鳥取では、「選手同士で要求をし合う空気」を求めているとお話しされていましたが、それは鹿島での経験が影響しているのでしょうか?
「そうですね。文句を言い合うのではなく、『こうしてほしい』という要求です。周囲にそれを求めるためには、自分がしっかりとやらなくちゃいけないという責任が生まれます。鹿島に限らず、強いチームというのは、そういう空気があるものです」
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