森岡隆三が鹿島で過ごした日々は「ジレンマとの闘いだった」

  • 寺野典子●文 text by Terano Noriko
  • 渡部 伸●写真 photo by watanabe shin

遺伝子~鹿島アントラーズ 絶対勝利の哲学~(25)
森岡隆三 前編

三竿健斗の証言から読む>>

 8月22日、鹿島アントラーズでは、24日の対ジュビロ磐田戦へ向け、紅白戦が行われていた。午前中ではあるものの日差しは強く、残暑は厳しい。ピッチ上に立つ選手たちの高い集中力が伝わってきた。ピッチ脇のベンチに座るジーコの視線が熱く、いつも以上に熱のこもったトレーニングが行われている。思い通りにプレーができないと声を出して悔しがる選手を見ていると、「本番さながら」という言葉がぴったりと当てはまる雰囲気だ。

 7月18日リーグ再開から約1カ月の間に10試合を戦うハードスケジュール。特別指定選手の名古新太郎を加えた31名の選手のうち先発出場したのは22選手、途中出場のみ4選手と文字通り総力戦で、5勝3分2敗と粘り強さを見せている(記録は8月25日現在)。しかし、快勝という試合は少なく、チャンスを作りながらも決めきれない、決定力不足や、呆気ない失点など課題も多い。

 そんななか、8月28日には、ACL準々決勝の対天津権健戦が控えるだけに、わずかでも課題解消への足掛かりをつかみたいところだ。

 鹿島アントラーズは、過去数多くのワールドカップメンバーを輩出してきた。2002年日韓大会のメンバーだった森岡隆三もそのひとりだ。1994年に桐蔭学園から加入している。しかし、公式戦出場試合は1試合のみ。1995年夏には清水エスパルスへ移籍していた(当初はレンタル移籍)。その後、フィリップ・トルシエ監督のもとで、センターバックとして、シドニー五輪にオーバーエイジ枠で出場。アジアカップ優勝を経て、ワールドカップメンバーとなった。2007年京都サンガへ移籍し、2008年シーズン後に現役を引退。翌シーズンは京都でトップチームのコーチとして、指導者の道を歩き出し、2017年J3のガイナーレ鳥取の監督に就任したが、2018年6月にチームを離れた。 

 プロとしての第一歩を踏み出した鹿島での思い出を振り返ってもらった。

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