岩政大樹の移籍先は「アントラーズと
対戦しないこと」を条件に考えた (3ページ目)
「プロになってから、周りに気を使いながらプレーしている部分があったんです。自分の判断もプロのレベルに追いついていないところもあり、『そうじゃないだろう』と言われると、その声に合わせてしまう。レベルの高い場所へ来たのだから、そういうのは当然なんだけれど、周囲に気を使うことで、自分の判断やプレーにもブレが生じてしまう。自分を信じてプレーすべきだとわかっていても、何の根拠もないのに自信なんて持てない。そういう性格なので、まずは根拠を求めるので、なかなか打ち破れない半年間だったんです。
セカンドステージが始まる8月に、このまま1年目が終われば、2年目にポジションが手にできる保証もない。大卒ですから、悠長なことも言っていられない。誰が責任を取るんだと切実に思ったんです。だから、根拠なんてなくてもいいから、自分の感覚でプレーすべきだと割り切った。当時『無理やりの自信』と名前をつけたんですけど、無理やりにでも自信を持とうと。
セレーゾは厳しい監督でしたし、細かくいろいろと指示を出すし、チームメイトからの声もある。でも、すべてをいったん遮断して、自分の基準でプレーしようと。それでダメなら自己責任だけど、周りの声に従ってプレーしてどうするんだと開き直りました。
そうしたら、周りの僕を見る目が変わり、監督もチャンスがあれば使ってみようというふうに思ってくれるようになったと感じました。そんななか、金古(聖司)さんが、出場停止になったタイミングで先発に起用されたんです」
――その試合に勝利し、その後は不動のセンターバックとして君臨し、2014年に移籍することになります。鹿島で引退ということは考えなかったのでしょうか?
「ACミランのマルディーニのように、ひとつのクラブだけで現役を全うするということに憧れる時期も確かにありました。でも、鹿島以外のクラブを知ることも、また自分の人生において重要だと思ったんです。それで、2010年頃から鹿島を出ることを考え始めました。移籍しても、鹿島と対戦するつもりはなかったので、まずは海外を視野に入れました」
――鹿島とは対戦したくなかったのですか?
「はい。今までずっと鹿島を勝たせるためにやってきたのに、他のチームへ行って、今度は鹿島を倒すぞと心底思えるわけはないだろうと。実際どうなのかはわからないけれど、そういう心境でプレーをしたくはない。それは鹿島に限らず、岡山を出るときには岡山と対戦したくはないと思いましたから。そんなことなく戦うのがある意味プロなのかもしれませんが、僕には難しいなという判断でした」
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